堀部安兵衛

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役者絵:阿部寛

堀部安兵衛【ほりべ やすべえ】…人気者キャラ。最右翼の急進派。

内蔵助としばしばぶつかるキャラ。

講談ではめちゃくちゃな履歴と、だらしないパーソナリティが表現されるが、実像は品行方正で血筋の良い、名誉を重んずる真誠の武士。武芸にひいでているところと、おともだちが多いところは、虚と実で共通する。

旧姓 中山安兵衛。


  • 「もりい くすおの忠臣蔵文化ちゃんねる」

#06 トークアバウト堀部安兵衛(実像と虚像について)

#23 もりいの安兵衛漫画を読んだ小学生さんたちの感想




生い立ち

越後(北陸のほう)の国、蒲原郡(かんばらごうり)新発田の城主・溝口伯耆守の家来中山安左衛門(お蔵奉行)の息子安太郎はたいへんな女道楽で、婚礼の日にフィアンセ(同じく家来・菅野六郎左衛門の娘)おみつを放って芸妓の小菊とトンヅラ。

一ノ宮でたいへんな貧乏暮らしの中、安之助(後の安兵衛)が出来る。

小菊は安之助が2歳で病死。

安之助10歳のとき、父・安太郎(ちなみに史実では父の名は中山 弥次右衛門(通称:七之助))が、腹痛でのたうち回るので、クスリをなんとかしようと表に出た際たまたま街道を通りかかった祖父(とは知らない)安左衛門の一行の家来の槍持ちが似た症状で苦しんでるのを、安左衛門の持ってた秀吉公由来の一粒の妙薬でたちどころに回復するのを見て、つい出来心が生じ、クスリの入った印籠を盗もうとしてとっつかまる。

安左衛門が事情を聞けば、目の前にいる少年はどうやら自分の孫!?印籠ごと渡してやる。

クスリをもらった父・安太郎は印籠を見て誰のホドコシかすぐに察し、稲村陰から安左衛門の一行を見守る。

たまたま移動中のカゴの戸を開け、安太郎とハタと目が合う安左衛門。黙って互いに見合わす顔と顔。

(講談 印籠取り)


父・安太郎は自分のいきざまを悔い、荷物をたたんでナニを思うか親子で新発田に出立。

途中、うどん屋において、元・家来から「婚礼の日たいへんだったんだぞ!」と駆け落ちのひととおりをののしられ、はからずも安之助は自分の家庭環境の一伍一什(いちごいちじゅう)を知る。


新発田に到着し、安太郎は安之助に手紙を託し、安左衛門の屋敷に向かわせると(ややこしいな)、ひとり菩提の長徳寺にて懺悔の割腹。


婚礼をすっぽかされたおみつは「自分がふつつかだから振られた」と謙虚に操を守っていたが、よろこんで安之助を預かる。

16の春に元服、名を安兵衛と改めます。その秋、祖父・安左衛門病死。中山家の跡目を継ぐ。

ある日、としまざかりの義母・おみつはその美貌から悪漢・黒田郷八から激しく言いよられたあげく斬り殺される。現場となった自宅にたまたま帰ってきてい合わせた安之助は伯父・菅野六郎左衛門から直伝の念流の剣術で見事黒田を倒し、母の仇を討つ。


その後、菅野は殿さまに三度諌言したことからクビになり、江戸にでる。


安兵衛はお家の悪人・川上主膳ら十数人を斬ったりしつつ、いよいよ自分のレベルアップに旅に出て、途中、群馬の樋口十郎左衛門のもとで念流の修行を積み、ついに江戸で菅野(松平左京太夫に再就職)を訪ねる。

(講談)

…上記のバリエーションが歌舞伎「高田の馬場 十八番切」にあり、義母・おみつの仇討ちは講談では15歳とか16歳いうことになってる安兵衛が元服前の子供になっている。一幕目では、幼少の安兵衛=安之助にはすでに父は亡く、未亡人である母親・おてるに思いを寄せた末にかなわぬ恋の遺恨から殺してしまう大道寺源十郎を成敗して子供ながらに天晴な仇討ちをする。

(地芝居 黒森歌舞伎にて鑑賞)


<実際のパーソナル情報>

ホントの安さんは初代新発田藩主の溝口秀勝のひ孫に当たり、お母さんは芸者さんではなく秀勝の5女の娘でれっきとした由緒ある血筋であります。

明治頃までは雑多の誤聞や臆説のせいで、安さんの出生地には、会津説や長岡説があったようで、あの福本日南先生も「元禄快挙録」で「長岡出身」と言ってしまい、あとから、それを訂正した「堀部安兵衛」をリリースしている。

「意外史忠臣蔵」飯尾精著(新人物往来社)で紹介されてる、会津坂下町の文化財保存会が発行したとする「堀部安兵衛出生の由来」にある、安さんのプロフィール内容は、上記と一緒で、これは昭和初期にリリースされた、大日本雄弁会講談社(現・講談社)の講談本に書いてあることであります。飯尾宮司さんが講談好きだったら著書の中で「デタラメの言い伝え」などと、そこまで目くじらを立てなかったかも。



若いころ〜高田馬場の仇討ち

2021年堀部安兵衛生誕350年祭。記念漫画リリース(本編28ページ中綴じ)武庸会発行。作画もりい くすお

安兵衛の父親を「中山主膳」とする逸話もございます。


父・中山主膳は新発田(しばた)藩につかえたが、同僚の梶田弥三右衛門にはめられて切腹する。15歳の安兵衛は仇討ちをする。


19歳で江戸に出てきて道場破りで宿賃稼ぎ(マネージャーは宿屋の主人)。

やがて八丁堀で長屋住まいをし始め、「ケンカ仲裁屋」をインディーズで開業。仲直りさせては酒をおごらせ飲んだくれる日々におじさんが時たま訪ねてきては説教をたれた。そんな生活が続く。

ある朝、飲み友達のお隣さん・糊売りのばばあ・おかん(または、おくま)が言付かってた手紙から、おじさんの決闘を知り、裏の9尺(約3m)の高塀を飛び越え、ばばあのご飯を横取りしてテンションをあげ、八丁堀から高田馬場まで走って助太刀に駆けつける(でも遅刻)。おじさんは斬られるが18人(とも16人とも)やっつけて江戸中の大評判に。(講談 安兵衛駆けつけ)


大酒飲みであだ名は「けんか安」「赤鞘(あかざや)の安」「とむらい安(葬式に乱入して飲み食いするから)」「呑んべえ安」「のんびり安」「グレ安」「ぐでんの安」「人斬り安」「ボロ安」「きちがい安兵衛」「ぐず安(酔って管を巻く「グズリ安」から転じたものと見えます)」(ひどいいわれよう)etc..。

ドラマでは畳屋、飲み屋、やくざ、ヨタカまで友達の、江戸町民の気の置けない人望の厚い愛嬌のあるキャラで描かれるのが基本。

子供からの人気もあり、のんだくれて道ばたで眠っていると子供たちが鼻の穴に指をつっこんで起こそうとする。そういう気のおけなさ。


武器は関の孫六


<実際のパーソナル情報>

小石川の堀内道場でメキメキ腕を上げ、高弟となり、ときどきは各藩の江戸屋敷に出かけて稽古をつけていたと言い、生活に困窮することはなかったという説があるらしい。

謹厳で学問もあり、お友達も多い。この当時まで、中山安兵衛・応庸(まさつね)という。(堀部に入ってから、武庸(たけつね)さんになります)

道場の同門、菅野六郎左衛門とはここで知り合い、意気投合して伯父・甥の契りを結ぶ。高田馬場でおじさんが決闘することになったのはほんとうだが、あとから駆けつけたのではなく、現場までは一緒にでかけているとか。安兵衛が斬り殺したのは3人。



結婚〜赤穂藩就職

仇討ちの見物をしていた堀部弥兵衛の娘・ホリが自分の緋鹿の子の扱帯(ひがのこのしごきおび)を「たすきにどうぞ」と貸してあげた縁もあり、彼の腕っ節に惚れた弥兵衛はすっかり安兵衛を気に入り、八丁堀地蔵橋の長屋におもむく。

仇討ちの誉れは各方面にとどろいていたので、毎日いろんな藩からスカウトが(特に松平左京太夫さんところが、死んだおじさんの後釜にと。また、お父さんが務めていた溝口家とか。)やってきたが、安兵衛は「別に大望があるんで」とかテキトーなことを言ってことごとく断っていた。

ある日弥兵衛が娘を連れてきたとき「大名の使者なら会わないが、婦人なら面会する」と言ったのが運のツキ。以降、連日の弥兵衛の「婿に来てはくださるまいか」という猛烈アピールを浴びることとなる。

「送ったしごきはすなわち結納のしるし。ご受納になった上はこの縁談はとうにご承知でござろう。♪高砂やこの裏船に帆を上げて〜」

唐突だし強引だし…。安兵衛は断るが弥兵衛は日参。「中山の姓を捨てることはかなわぬ身の上」と言うとしまいにゃ弥兵衛老「じゃあこっちが堀部姓を捨てて中山になってもいいから」とまで言いだし、最終的にはくどかれて養子となる。

晴れて内匠頭にお目通りの上、主従三世のお固めのお盃を賜りまして、めでたく就職。

ここに、堀部安兵衛が誕生する。


浪士

せっかく就職できたのに、殿様の松之大廊下での刃傷事件でお城は解散。再び浪人に。

赤穂城倒産後、吉良邸付近で八百安(やおやすでのうてはっぴゃくやす)という名で野菜を売り歩き情報収集。水菓子屋に化けて上杉家の上屋敷を探ったりもした。その後長江長衛門と名を変えて道場経営。

講談によっては安兵衛が有名人すぎて隠密行動にさわりがあるというので、漆を飲んで顔をブツブツにした上、小柄で顔を切り刻むであるとか、前歯を抜いて頭を丸めた上に顔に焼き小手を押しつけてから荒縄に砂をつけてこすって、もう顔だか鍛冶糞(?刀の原料の玉鋼のことかな)だかわかんなくしちゃったなんという暴挙に出る設定もある。また、焼け火箸を顔に当てて目尻から頬にかけて大きな傷を作り前歯を折り、五分月代に髷をちょいっと左に曲げてならず者のようになって変装し「ひょっとこの面をたくさんの衣にくるんでイワシの油であげたような顔」(寺坂談)となるバージョンもある。

映画にも「堀部安兵衛(日活)」では焼け火ばしを顔に当て、「血槍無双」では煮え湯を顔にかけるが、いずれもすさまじい。

長屋は浪士のたまり場で道場は討ち入り前の集合場所ということになってる(実際は蕎麦屋ではないようですな)。

江戸の名物男があの討ち入りメンバーだったってんで江戸っ子の間で大ニュースとなる。こどもの頃のお父さんの仇討ちを加えると、その後高田馬場、吉良邸討ち入りと、生涯に3回も仇討ちをやっちゃった。


武器は肥前忠吉。

享年34。

(奥田、ヤスベエ、高田で江戸急進派トリオ、江戸表の三士)

Horibe Yasubei

Among the 47 rōnin, he is the most famous and popular figure.

He first gained fame by aiding his uncle in a duel.

Later, as one of the 47 rōnin, he once again fought bravely.

In Japan, there are more films centered on him than those based on the entire Chūshingura story.


関連項目

新潟県新発田・清水園「安兵衛真観」:もりい画


  • 生まれ故郷・新潟県新発田「清水園」の伝承館に飾ってある安兵衛の一生「安兵衛真観」(11連作)記事

忠臣蔵ぶろぐ「安兵衛真観完成(うらばなし)」

忠臣蔵ぶろぐ「安兵衛真観完成(その2)」


忠臣蔵ぶろぐ「安兵衛さん分骨始末記」



関連作品

  • (日テレ)1967


※落語「安兵衛狐」「高田馬場」は忠臣蔵とも堀部安兵衛とは関係ない。かたやヤスベエという名の人物が出てくる「のざらし」みたいなハナシ。かたやガマの油売りが客の中に仇を見つける、そのロケーションが高田馬場というだけ。

「怪談乳房榎」の枕で安さんの決闘に触れることがある。