中山安兵衛

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作品概要
制作会社 新東宝
公開年度 1951年
内蔵助役 −−−
評価 2ツ星

中山安兵衛とは堀部安兵衛の若い時の名前。有名な高田馬場の仇討ちの映画化のひとつだが異色。

ひとなつっこくて愉快な24歳の浪人を50歳くらいの嵐 寛壽郎(アラカン)が愛嬌たっぷりに演じている。


前回の日活における敗戦の色が濃くなってきたときに公開されたアラカン安兵衛と、この新東宝の戦後GHQ安兵衛(7年差)には、戦中と戦後でオープニングから如実な相違がある。


両作品ともにおじさんに怒られるシーンから始まるのだが、戦中だと「貴様は武士の生命をなんと心得ておるのじゃ。やがて仕える主君のためにお役に立つべきもの」と意見されるのだが、本作だと安さんが「わずかばかりの禄にしばられて上役のご機嫌取りはまっぴらだ!」と言ったことを怒られているが、酔っ払うとおじさん(東野英治郎。アラカンより5歳年下なのに30歳差くらいの年上を演じている)も同じ考えだと豪快に笑ってグッといいかげんになっている。

ほかにも「◯◯くんだりまで行って200か300の扶持をもらってもはじまるまい」とか「気にすンな気にすンな」など、劇中ではなにかと自由な考えを推奨?している。


戦争孤児のありようを意識しているのか、安さんは史実の家庭環境ではなく親の愛情に恵まれなかった身寄りのない設定になっており(おじさんのちぎりを交わした菅野はいるが、安さんを育ててくれた恩義という設定も他にあったりして、みなしご設定は珍しくない)。

長屋ではシングルマザーの家計を助けるために神社で鳩のマメ売りをして働く子供・コウメちゃんに、やさしく声をかけ、長屋に帰ると近所の風邪引いてる子供に飴玉を見舞いにあげたりする。(鞍馬天狗が当たり役のアラカンには、子供とのショットがよく似合う。)

おかげで前半は、優しくてかわいい雰囲気が漂う。


やがておなじみの高田馬場のシーンとなるが、おじさんが果たし状を受けた仔細を下男から聞いた安兵衛は、ふつうに準備して果たし合い会場におじさんと一緒に出向く

長屋の連中とわっしょいわっしょいと走っていくシークエンスも有名だが、このパターンも講談にあるっちゃあ、ある。そもそも史実では一緒に出かけているそうである。


さてこの決闘シーンには、さらに特徴があり、アラカンの殺陣は華麗で評判なのだが、ここではおじさんの決闘をサポートするために、中津川友範や村上(弟)を相手に、おじさんの方をチラチラ気にしながらやっつけるので、それほど魅力的には仕上がってない(というか、リアリティ追求?)。

やがて安兵衛の奮闘もあって見事おじさんは村上をやっつけるが、手傷を負ったおじさんもまもなく息を引き取る。この死んでいく過程にゆっくり時間を取ってあり、また累々と遺骸が横たわる馬場に駆けつけた村上兄弟のお父さんが、死んだ息子たちの手を取り泣き崩れ、闘いや死の虚無感をあおるBGMがかかる中、安兵衛は呆然と馬場を後にする。そしてこのシーンにもタップリと時間をとっている。戦前までは安兵衛モノで、人の死をこうまで重たくリアルに扱った映画は無いのではなかろうか(知る限りでは)。

大きくなる評判をよそに安さんは村上家を訪ね、焼香をする。

前半愛嬌のあった安さんがたった1日で、たくさんの死と向き合い、苦悩し、悩み、なんだか後悔の色さえも垣間見える。

で、唐突に居酒屋の女にコクって、フワ〜ッと終わっちゃう。

時代背景を把握してないと、そこそこの「なんだこりゃ」感が残る。


当時は「チャンバラ禁止令」と呼ばれた占領軍の検閲の厳しさから、自粛ムードが高まっていたそうだが、人気の安兵衛モノにあえて史実に基づくようなリアリティを強調することで、あるていどの殺陣を許してもらったのかもしれない。その上で、わざと後味の悪いシークエンスを持ってきて、徹底的に決闘にまつわる"虚しさ"や"厭戦感"を観客にアプローチする狙いだったのではなかろうか。

でも、これじゃあ、どのツラ下げて、その後吉良を討ちに行くのか、じゃっかん辻褄に「?」となる。


戦中のアラカン安兵衛


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