蕎麦屋

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役者絵:藤原釜足

蕎麦屋【そばや】…楠屋久兵衛/楠屋源助(くすや きゅうべえ 出典:浪曲「そば志ぐれ」「小林平八郎」/くすや げんすけ又はくすのきや げんすけ)。

堀部安兵衛が八百屋をやってた時の友達。


雪が降って客足がいまいちな時に47人も参加する俳諧のオフ会があるというんで最初は喜ぶが、武具が運び込まれたりするのを見て、実は泥棒の集まりだと思い込みおびえる。まもなく内蔵助から説明があり、誇りに思って場所を提供する。


映画では自分ちが出撃前の陣地にされてると知らず、みんなが集まってる二階へそばを持っていこうとすると、さっきまでふつうのかっこうで来店してた人達がそろって武装してるんでびっくりして階段から転げ落ちる。ある時代の映画では、どの作品も豪快な「階段落ち」がお約束となっていた。

四十七士がぞろぞろと階段から降りて来るのを店のスタッフそろってテーブルの陰に隠れてビクビクしながら見ていると最後の誰かがチャリンと代金を置いて行くっていうのが定番。

持って行こうとしたそばを浪士たちは食べないでよかったのかなあ、といつもドラマや映画を見て思う。


このそばやシークエンスは「泉岳寺書上(かきあげ)」なる、討ち入りからだいぶあとに登場したあやしげな文書に「両国橋の楠屋十兵衛で手打ちそばを食べた」と書かれていたのがきっかけで膨らんでいったそうで、実際は「手打ちそば」はこの時代に無かったというし、当時はお店も浪曲「俵星玄蕃」に出てくる杉野十平次のような「振り売り」スタイルが主流だったそうである。

もっと言うと、この当時「そば」と言えばそば粉を練ったかたまり(そばがき)を包丁でそいだような「そばきり」の時代。(註01)

というわけで、四十七士全員を温かいかけそばでもてなす、くすやの存在は果てしなくフィクション。

とはいえ、「寺坂信行筆記」という書物には、集合時間まで吉田忠左衛門ほか6〜7名が両国の「亀田屋」という茶屋でそば切りを食べたとあるそうですから、まったく義士とそばが無縁というわけでもなさそうです。(コミック誌ビッグコミックの漫画「そばもん」より)


サイト管理人、もりい くすおの名前と、忠臣蔵登場人物くすやさんに絡めて本サイト名をくすやとさせていただいた次第です。


註釈01…現存する赤穂時代のりくさんの手紙に「宅のがほんとにそばが好きなんで、送ってくださらない?最近は細く柔らかく打って食べるのがマイブームみたい」(アレンジ>もりい)という内容があるそうです。(「忠臣蔵を生きた女」瀬戸谷 晧) 

ズルズルすすって食べる、おなじみの形になるのは江戸後期からだとか。



余談

'70年代にリリースされたタモリのギャグが詰まったファースト・コンピレーション・アルバムに「"武蔵と小次郎"part1~討入り前の蕎麦屋の二階」というネタがあって、タモリがさまざまな有名人(長谷川一夫、美濃部都知事、田中角栄総理など)のスタンス(モノマネ)で討ち入り前の意気込みを5人分語っている(3min34s)。


ちなみに2018年1月現在Wikipediaにはこのアルバムについて「毛沢東風中国人・マッカーサー風アメリカ人・ヒトラー風ドイツ人・寺山修司風日本人のモノマネによる「四カ国親善麻雀」」が収録されているとしてあるが、実際は「中国人韓国人アメリカ人と寺山修司風日本人による麻雀」が正しく、この芸には歴史上の人物を思わせるエッセンスは一切無い。