OSK日本歌劇団創立100周年記念公演レビュー春のおどり 特別版
作品概要 | |
制作会社 | OSK |
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公開年度 | 2021年 |
内蔵助役 | --- |
評価 |
2022年6月に、前年1月に大阪松竹座で行われた「レビュー春のおどり」のようすがBS松竹東急で放送された。
奈良時代〜戦国〜江戸時代と、時空を越えて歌と踊りとお芝居で魅せてくれる。江戸時代のパート(前半舞台の締めくくり)に、中山安兵衛のエピソードが構成されている。
もりいくすおが、圧倒的にOSKに詳しくないのと、「安兵衛駆けつけ」はあくまで全体の構成の一部(15分ほど)であることから、ここでうんぬん言うのはよそうと思っていたのだが、鑑賞後にどうしても、何日も引きずることがあったので、項目を設けました。
気になることとは…
トップスター桐生麻耶さんの演じる安兵衛は、黒羽二重と赤鞘という、申し分のないかっこうで高田馬場を目指すのだが、走るときに尻端折(しりはしょり)りをしないのだ!
この不自然な演出は多くの問題を示している。
安兵衛や平手造酒の、定番浪人スタイルの起源は中村仲蔵が考案したとされる、仮名手本忠臣蔵5段目の斧定九郎と言われるが、なぜ仲蔵のアレンジが評判を取ったかといえば、いろんな要素の中に「色気」があるのは言うまでもない。
鉄砲の弾を食らって口からしたたる真っ赤な血を、尻はしょりをしてあらわになった真っっ白な太ももでびちゃびちゃと受ける、あのグロテスクなコントラストが超印象的なわけだ。
スタイルを踏襲した中山安兵衛(のちの堀部安兵衛)も尻端折りでふんどしをなびかせて、八丁堀から都の西北まで駆け抜ける。バンツマなんか、ほんとうにこれが色っぽい。
余談だが、いつぞや着物で出かけたとき、あたしが地下鉄構内から地上に出る階段を登っている際、その後ろから漫画家の伊藤理沙先生が続いていたのだが「男の脚も、はだける着物からチラチラ見えると色気があるものだな」と、概略そう言っていたことがある。事程左様に、ふだんは汚くてゴツゴツした種族が、色気を垣間見せる瞬間こそが「着物から見える脚」なのである。
さて、桐生さんにお話を戻すと、なぜその象徴的なカタチを再現しなかったのか、前後関係から見ても皆目わからず、ひじょうに不可解な気持ちで画面を見入った。
着物を着た経験のある人ならわかると思うが、前を開けないでは走れないのが着物である。下半身を布で巻いて6キロを疾走できるだろうか?(ちなみに演目のタイトルは「疾走!高田馬場」) 衣裳として、いやさ演出としておかしいのである。
タキシードで銭湯の湯船に入る赤塚不二夫とか、タンクトップでゾンビの群れに立ち向かうサバイバーなど、衣裳にまつわるちぐはぐを、あれこれ思い出した。
それ見たことか、脚の可動域を制限された桐生さんは、その場でチョコマカと細かくせわしない「足踏み」をすることで、走っていることを表現するにとどまっている。(註01)
そして、理由をいろいろ考えた。
・いまさらだが、OSKは宝塚やSKDと同じく、演者はすべて女性である。言うまでもなく桐生さんも女性なのだが、桐生さんはほかの歌劇のスターと見比べても、ひじょうに男性的なダイナミックさを感じる人なのだが、ひょっとしたらおみ足は想定外になまめかしく、演出を犠牲にしてでもソレを隠しおおすことで観客を現実に引き戻す混乱から守ろうと思ったのか…
・その場合、役作りで筋トレをして、ふくらはぎや太ももをししゃものようにすれば良いとも思うが、それはそれでファンは引いてしまうのだろうか?
・それとも、とても観客には見せられない、なにか不都合な要素が脚にあるのか…タトゥーや、手術痕など。(厳密にいうと、そうがんじがらめに見せないようにしているわけでもないのだが。)
・OSKにかぎらず、この手の歌劇では、「男役は脚を出さない」というのが不文律なのか…
それについては調べてみると、かつて宝塚の雪組が「幕末太陽傅」をやったときなど早霧せいなの、着物から見えるふくらはぎを見てドキドキしたファンのブログが見つかった。ドキドキさもあろう、と思う。そこでは、こうしたことは和装だからこそのことで、男役の生ふくらはぎは滅多に無いとある。
ただふくらはぎまではともかく、さすがに大腿部となると話が違ってくるか・・・(安兵衛とて、丸出しではないのだが)
・ためしに、百歩譲って、股引も衣装合わせしてみたが、想定外にかっこ悪かったか…
・そもそも、忠臣蔵モノに挑戦しようとしてはみたが、作家や演出家がいろいろ不勉強なのか??(<まあ、これはたぶん、無いような…)
いやともかく、かえすがえすも、なかなかな「不完全」を感じる。
おそらく、やっている方も、演出側も、その「不完全」を意識し、悔いているのでは?という肌感がある。
実は、馬場に急ぐナンバーの振り付けの中に、「気は心」と、いった感じで、尻を端折ろうとするかのような所作が何度か出てくる(意外にかわいらしい)。イメージでご勘弁を、という「エアー尻はしょり」なのだ。(なんで、そうまでして「安兵衛駆けつけ」をやろうとしたのか??うれしいけど)
ちなみに、馬場の助太刀に間に合った安兵衛が村上庄左衛門を斬ろうとしたその刹那、裃姿の「オオバヤシツキノカミ」なる人物が現れ(どこのだれ??)、現場をウヤムヤにして終わり。そのままメロウでやさしげなエンディング曲(桐生さんはマツケンサンバみたいな衣裳に変わる)をみんなで歌い、第1部が幕となる。タイトルが「決闘!」ではなく「疾走!」になってる理由はここにある。
SNSを覗くと、ファンの方には安さんが馬場に駆けつけるときのセカセカした歌が、記憶にこびりついているようで、なにより。
註01…本公演とは無縁のことだが、2022年8月10日に放送のあった「水曜日のダウンタウン」で、朝起きたら仲間も旅館の人もこつ然と消えている…というドッキリを仕掛けられた芸人(コンピューター宇宙のはっしーはっぴー)が異常事態にパニックとなり、人影を求めて建物中を駆けずり回っていたが、尻端折りを知らない彼には、旅館の薄手の浴衣といえども走行は制限されるものと見えて、最終的に帯を打ち捨て、はだけた状態で屋外へ走っていった。左様なまでに、比較的自由度の高い浴衣でさえ「着物で疾走」は不自由なのだと確信した次第。