斧定九郎

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索
役者絵:市川海老蔵
役者絵:中村橋之助
役者絵:木下ほうか
定九郎と与一兵衛.早替りの舞台裏

斧定九郎【おの さだくろう】…「仮名手本忠臣蔵」5段目の人。斧九太夫のニート息子。

お家改易の前は部屋住みの身だったが塩冶判官からは二百石もらっている。


五段目のありさま

お家改易後は強盗に身をやつし、真っ暗闇の山崎街道で殺人強盗をする。被害者は与市兵衛

強盗をやったあとに、たった一言「50両〜」のセリフのあとイノシシと間違われて勘平に鉄砲で撃たれ(てか、流れ弾)、あっけなく死ぬ。

勘平たちの人生には大きく関わってくるものの、この定九郎はイノシシ同様忠臣蔵の作戦自体には大して影響のない、通りすがりのチンピラなのにもかかわらず、絶大な人気を持っている。

ともかくビジュアルがあまりにも印象的なので、人の運命を大きく変える「きっかけ」だけのキャラにしては、存在感がハンパではないのであります。

そのキャラをデザインしたのは歌舞伎役者の初代・中村仲蔵。(↓後述に真相アリ)


扮装いまむかし

 江戸時代、中村仲蔵(なかむらなかぞう)がこの役を勤めたとき、それまで山賊の扮装だった。(画像参照)

 すなわち、夜具縞(とか大島柄)のどてらとまるくけの帯、たっつけ袴(とか紐つけ股引)に五枚重ねのわらじに藤蔓巻きの山刀をさし、頭は百日カツラ〜月代(さかやき)の長くのびたやつ〜に、イグサで組んだ山岡頭巾。(<歌舞伎研究者・藤野義雄先生や浮世絵研究家・新藤茂先生や古典落語による)

 この役を、明和3年9月の市村座において、(藤野義雄『仮名手本忠臣蔵 解釈と研究』桜楓社)白塗り顔、のびた五分月代(さかやき。ちなみに熊の毛)のヘアスタイル。黒羽二重の単衣(ひとえ)に白献上の帯、朱鞘の大小を落とし差し、腕をまくって尻からげに白塗りの脚の浪人姿にアレンジし、ドキッとする美しさの強烈な色悪(ヒール)にしあげて大好評を博し、以降それがスタンダードとなる。(オリジナルの文楽が逆輸入したほど)

 漫画家のみなもと太郎先生に言わせると、このキャラが出来上がって以降、「天保水滸伝」の平手造酒(ひらてみき)も、高田馬場の安兵衛も、「浪人」と言えば定九郎像がスタンダードとなったとのこと。なるほど。(ただし黒沢明の「用心棒」で桑畑三十郎が現れるまで?)

 演出家・蜷川幸雄はご自分の舞台「仮名手本忠臣蔵」において、定九郎役の清家栄一氏に「映画『ブラックレイン』の松田優作のイメージで」と言ったという。なるほど。


 2007年の花組芝居による「KANADEHON忠臣蔵」では、定九郎は山賊スタイルで上演された。歌舞伎のほうでは2009年の大阪・松竹座の公演も原作に忠実だったようで、山賊の扮装の定九郎が見られたと聞きます(<こっちは要確認)。



誕生秘話

 古典落語「中村仲蔵」では、歌舞伎役者の初代中村仲蔵が努力の末ひとかどの役者にまでなったところで、つまらない山賊(忠臣蔵五段目の定九郎)の役をあてがわれテンションを下げるが、一念発起して、現在にも伝わるおなじみの定九郎像をこしらえるという逸話が物語になっている。

(浪曲「定九郎出世噺」だと仲蔵夫婦の馴れ初めまで遡る。)

 アイデアの思いつかない仲蔵が急に降ってきた雨を避けるために食べたくもない蕎麦屋に入って、モデルとなる謎の侍と運命的な出会いをする。 

 この噺に出てくる、「与市兵衛を先にやっておいて、定九郎はあとから濡れた傘を半開きにして一文字に飛んでいき、パッと傘を開いて見得を切る。弁当幕なんでみんなが舞台に集中せず下を向いて弁当を食べてるところへ黒いものがかすめていく(とか、濡れた傘ををクルクル回しながら走るので水がかかるとか)ので観客はハッとする」…というシチュエーションは、現在の仮名手本忠臣蔵(歌舞伎)の五段目には一切出てこない。

 いまスタンダードなのは、与市兵衛が休憩していると背後の掛け稲から白い腕がぬぅっと出てきて50両を盗むという、実に静かで不気味な演出で、これは四代目市川団蔵が、与市兵衛と二役の早替わりを演じてまずセリフが無くなり(1781?)、白い手は七代目の団十郎(1791〜1859)が考案したとされ、明治時代に九代目市川團十郎が「五十両〜」のみにしたとか。

 通称「白い手」という、この演出は、あまりに素晴らしいので現在まで継承されているんだそうです。

 ちなみにこの「白い手〜早変わり/二役」バージョンは2013年12月の中村吉右衛門(2nd)の「知られざる忠臣蔵」公演・「忠臣蔵形容画合(すがたのえあわせ)」において中村歌六(5th)が再現したのが見られた。定九郎が殺されてイノシシのようになった与市兵衛と舞うように闘う(どないやねん…ッて思ってたら国立劇場制作部さんのアイデアによるバリエらしい)。


 いっぽうで文楽のほうでは、落語に出てくるシーンにすごく似ていて、傘も開くし、セリフも「50両〜」だけではなく与市兵衛との長い掛け合いがあるんで、「ああ、こういうかんじだったのか」とイメージできる。

 「(カネを)かしてくだはれ!かーしてくだはれい!」なんて言ってカツアゲします。(いつの世も悪漢の恐喝の口上は返すつもりもないのに「貸せ」なのだなあ。)しかし与市兵衛は必死に抵抗する。

 「むごい料理するはいやじゃに、てぬるう言えばつけあがる!」と定九郎が逆上するので、与市兵衛はどれだけ大切なカネか必死に説明し命乞いをするが、定九郎はタバコ吸ったり耳糞ほじくりながら聞くだけ聞くと、与市兵衛をずたずたに斬り殺したあとグリグリ刺してほじくって財布を奪う。

 「いよぉっ五十両!あ〜あ久しぶりのご対面かたじけなし!」

 って喜んでたらバーンと撃たれちゃう。被弾して空をつかむ様は歌舞伎と一緒。

 歌舞伎では、撃たれた定九郎がクチから血潮を垂らし、それはまっすぐ落ちて真っ白なヒザの上を赤く染め(役者が上手に狙いを定めて血を垂らす)、なにかにすがるようにプルプル空をつかむとやがてひっくり返って絶命する。

 浮世絵には被弾してカラダから煙が出たりしているものもあり、ともかくこのキャラクターは役者がいろいろアレンジを楽しんでいるようでございます。


<附言:開発の真相>

 七代目松本幸四郎の著書『一世一代』の中に

「『忠臣蔵』の定九郎のこしらへが仲蔵の考案のやうに伝へられていますけれど、実は五代目團十郎の創意なのです。」とあるそうです。

 團十郎が父親・随念と定九郎の扮装についてアイデアを語ってたのを聞いたか仲蔵が、のちに團十郎に乞ふて明和三年(1767)の秋、市村座ではじめてその姿で演じたとか。(関容子『芸づくし忠臣蔵』/戸板康二『忠臣蔵』/松島栄一『忠臣蔵』)

『寿阿弥筆記』には、團十郎主催の修行講で出たアイデアを仲蔵が、自分にそれを演らせてほしいと申し出た、とあるそうです。(藤野義雄『仮名手本忠臣蔵 解釈と研究』より。『歌舞伎年表』(岩波書店)にも。)


スピン・オフ

「仮名手本」よりあとに作られた「太平記忠臣講釈」では定九郎が落ちぶれるキッカケが描かれている。

 彼は、殿様の刃傷事件を国許に知らせるために、千崎弥五郎と共に二番目の早打ち。殿の切腹を告げにくる。親父の斧九太夫は「なんですぐ駆けつけて師直を殺して殿の鬱憤を晴らさなかった!」と怒り、満座の中で勘当するのでした。


 その影響を受けて作られた「忠臣蔵後日建前」には、定九郎の奥さんの復讐劇「女定九郎」てのもある。

 定九郎の女房・まむしのお市が山崎街道に独りでいるおかるの母親・おかやのところまでゆすりに行くが、おかやが実の母親と知ってお市が猟銃自殺するという「仮名手本」の後日譚(すげえな)。


 また「菊宴月白浪(きくのえんつきのしらなみ)」(鶴屋南北原作)という作品ではどういう風の吹き回しか、討ち入りの1年後を描いた、定九郎が塩冶家のために忍術まで使っていろいろ力を尽くすというエピソード(もどき:オルタナティブ作品)もある。

 この作品は忠臣蔵の後日談としながらも、定九郎は「塩谷家・家老の斧九郎兵衛の子で、元・近習。桃井若狭助の奥勤めだった加古川という女性の旦那」(超まぎらわしい)としてあり、斧九太夫の子ではない設定。亡くなった四十七士を羨ましく思っており…てことはアナザーワールド(マルチバース)のハナシである。


 東京演芸ファンには由利徹のコントが有名。


関連項目

  • いのしし(共演者)…余談だが猛進してくる猪に向かってできるだけ近距離で傘をパッと開くと途端に踵を返す習性があるとか(この際自分はかがんで開いた傘で身を隠す必要がある。急に目標を見失った猪は狼狽しUターンするらしい)。定九郎も傘持ってるんだしそれを知ってれば…


関連作品



  • 「大型時代劇スペシャル 忠臣蔵うら話・仲蔵狂乱」(ABC朝日放送)2000.12

少年時代から定九郎開発までの仲蔵のお話。市川新之助時代の海老蔵(11th)が若き仲蔵を演じる。泡沫のもらわれっ子仲蔵が差別されながらも役者を続け、雨で困ってる浪人をヒントに新しい定九郎像を思いつくのは定石どおり。落語に出てくる芝居小屋の様子(人足=稲荷町の楽屋がお稲荷さんの脇にあったとかそういうの)やむかしの定九郎の様子が映像で再現されてて愉快。(残念ながら五段目の演出は「白い手」になっちゃってる。)

新旧定九郎の変身よりも、V6の坂本昌行演じる仲蔵の親友・三太郎が年を取ると小林稔侍になるという大胆でアバンギャルドな変身のほうがエキセントリックだった(笑)。

原作は松井今朝子(「仲蔵狂乱」第八回時代小説大賞受賞作品 講談社刊)


  • 「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」(NHK)2021.12

中村仲蔵役に中村勘九郎(6th)を迎え、おなじみの 「中村仲蔵」の話をドラマ化。

勘九郎がインタビューで、江戸時代の芝居小屋の再現がワクワクしたと言ってるように、作品は「江戸時代」の芝居を取り巻くあれこれを(定九郎開発当時で、すでに明治時代のカタになっちゃってるなどの省エネ演出をさしおいても)丁寧に扱い、見ちゃいらんないような「いじめや差別」にまつわるベタな人間ドラマに、「日本沈没」と掛け持ちだった石橋蓮司のお稲荷さんや、朝ドラと掛け持ちで三味線をほんとに演奏してるのか吹き替えなのか絶妙な上白石萌音など、随所に愉快なスパイスが効いており、そこにうまいこと勘九郎の磊落な爆発力が機能している、好感度の高い作品。

とにかく軋轢の中で異例の出世をする仲蔵の、不名誉なキャスティング劇は、連続ドラマならではのアレンジに説得力があって、新しい構成やエピソードを盛り込み整理して、エキサイティングで感動的。(ヒントになる「ナゾのサムライ」を、浪人する前に仲蔵に一回遭わせておく心憎い演出もさることながら、実際濡れ鼠になって仲蔵の前に再び現れる浪人=藤原竜也のかっこいいこと!)

新・定九郎に客席がフリーズするシーンは、まったくの見もの。(志の輔師匠や伯山先生などの得意とする古典モノと、タメの部分やもったいぶり方がほとんど違う)