浅野内匠頭

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役者絵:市川雷蔵

浅野内匠頭【あさの たくみのかみ(長矩ながのり)】


赤穂領主。(三代、56年の統治。)

清廉無私、謹厳実直でクソがつくほどマジメキャラ。カタブツで、殿様なのに側室(愛人)がいない愛妻家。映画やドラマではしばしば奥さんの琴の演奏を聴くのが大好きという演出がなされる(「赤穂城」「忠臣蔵 花の巻雪の巻」「忠臣蔵 風の巻・雲の巻」「決断の時」など)。

赤穂の、とあるタクシーの運転手さん(大阪出身)は「嫁はんより小姓を愛しはったんですなあ」とゲイだったと主張(江戸時代の衆道はあたりまえ)。

アンチ忠臣蔵の人が引き合いに出す「土芥寇讎記」(どかい こうしゅうき:各大名の解説書)では長矩を「女好き」としているがもりい個人は、公儀隠密スパイが書いたとされるこの評価ブックを信用しておりません。


なにもかも、この人が江戸城の大イベント中に廊下で上司を斬りつけたのがきっかけ。どうしてそんな奇行に走ったかは300年経った今も謎。

上司、吉良のパワハラが原因であるというのが定説。

大名の起こすこうした「喧嘩」はほかにも例があるそうで、内匠頭の親戚も過去にどっかで同じような事件を起こしている。ただ家来が討ち入りたくなるような片落ちの裁定はめずらしい。


5万3千石。塩田も入れると7万とも8万石ともいわれなにげ裕福だが、忠臣蔵物語の中では、おなじイベント接待部の伊達君より領地が広いのに進物はショボかった。「おべっかつかうのはきらいじゃ」というこの無作法が吉良の逆鱗に触れる。

刃傷事件前はたいがいのドラマで部下が浅野に「何事もご忍耐第一に!」と心配してくれている。

(実際は地元の水道工事や京都御所 紫宸殿の建て直しにたいへん散在して、裕福どころか天守も建てられないほど嚢中はさみしかったとか。足袋もツギのあたった倹約家。柳沢吉保が珍しく赤穂浅野を貧乏呼ばわりする「ミフネ版」では、その理由を「昔ながらの戦ぞなえをして、藩士をたくさん抱えてるから」としている。)


当時の勤務評価に「短慮」と記されていたり、感情が高ぶると胸が苦しくなる「痞(つかえ)」という病気持ちだったとも伝えられるところから、ドラマでもすぐおなかが痛くなったりつむじがいたくなったりしてる演出が見られる。

「突く」ための脇差しで斬りつけたり、理由も言わず「遺恨」を再三くちにしてることから、被害妄想を伴う精神病説も言われているらしく、「たけし版」ではそこに言及し、ジェームス三木は「瑤泉院の陰謀」では大胆にも、内匠頭をはっきりとトリッキーなキャラとして描いている。

 実際は、一度クビにした不破数右衛門の帰参を考えてたり、中山姓のまま安兵衛の婿入りを許可したり(実際は安兵衛のほうが折れて堀部家に入る)と、柔軟な人柄が伺える。(逆に、あたしゃ短慮を伝えるエピソードを聴いたことがない)


ドラマなどで大げさにクローズアップされることが少ないが、そもそも戦国時代は豊臣秀吉と縁続きな上、ブレーンの筆頭だったたけだけしい家柄で、「辱められるならやっちまえ」という山鹿素行先生の教え(要確認)も助けて「喧嘩上等」の姿勢なのではなかったかとも推測される。


遺書らしきものには「言っといたらよかったんだけど、言わないでおきます。さぞ不審でしょうね」という言葉を残して死んでいっちゃって、これまた謎。

峠の群像」では、自分の愚行ははっきりしてることだから罰は受ける。そこにいちいち「だって○○なんだもん」などとつべこべ言わないことが潔しという演出が、不破数右衛門が家僕を切り捨ておいて理由をかたくなに話さないエピソードとともになされている。


辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」(いまいち意味不明)もこの句を伝えた多門伝八郎の創作とも言われフィクション説が濃厚とか。


とにかく謎のすべては、お上がくわしく取り調べをしないで「すぐに切腹!」と裁決したお手軽さが原因。


謎が多いおかげで、そこを各世代の作家が劇中において「どうしてこうなった」を解釈し描き、討ち入りを爽快なクライマックスに持って行くことの腕比べが「忠臣蔵」の面白みのひとつといえる。


ちなみに内匠頭は一代で江戸城警備、消防隊(<「消せない火事はない」とまで言われ、市民に好評の仕事ぶりだった)、普請の手伝い、任期中に二回の饗応役(かなりレアとか?)など、幕府からいっぱい御用を言いつけられており、なかなか大変だったとお見受けいたします。

上記の、スパイが書いた勤務評価やら、神経の病やらが本当なら、それを知った上で幕府が、朝廷との関係にこれほど重要な役割を、何度も与えるもんだろうか???と、個人的には思います。

カネのかかる用事をさんざん言いつけられたのも、豊臣系の浅野家をこころよく思ってない徳川幕府(<小藩取り潰しにも躍起)のいじわると考えられる?と紹介したテレビの歴史バラエティもあったが、秀吉死後はすぐに家康の幕下に入っている。ひいおじいちゃんの浅野長重は、徳川秀忠や家光とも仲良しだったという記録もあるそうです(大日本近世史料/細川家史料)。


年貢が重かったとかで、アンチ忠臣蔵の人は内匠頭の切腹を聞いた領民が餅をついたとか赤飯を炊いたと言われるエピソードをことさら引き合いに出すが、これは播州浅野家のあとを継いだ森家の借金20万両とも言われる政治の過酷さが前の領主に影響した誤伝とも言われている。(要出典)


享年35。


仮名手本忠臣蔵の塩冶判官(えんやはんがん)。



Asano Takuminokami

Asano is the lord of the part of the west of Japan.

He received a relentless bullying from Kira in Edo, the capital.

Insult had serious implications for the samurai.

Asano will fail in an attempt to kill Kira.

Shogun was pressed against the Harakiri to Asano.

He died at the age of 35.

Asano's servants were granted the wish of the lord..


When Chushingura in Hollywood made a movie, Creators change the his setting to the old man.



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