間瀬孫九郎
間瀬孫九郎【ませ まごくろう】…間瀬久太夫の長男。
事件前、芝居小屋でもめたチンピラを斬り殺してしまったかどで退役。一時、浪人をしていた。1年ほど謹慎してから帰参したら「松の廊下事件」。
お家改易後、潜伏中は江戸で寿司屋をはじめる。頭に寿司桶を乗せて派手な身なりで吉良屋敷の近辺を売り歩いた。吉良邸の食い意地の張った用人達にたいそう気に入られ毎晩商いに通い、大部屋の下郎、匹夫になじみができる。貸し売りはするけど帳面はつけないし、みんなの前で「今日は宇治川の合戦でもやりますか」などと講釈をやったりするのでことごとく気に入られた。
ある日、小林平八郎が「商売をして利益に関わらざるとは怪しきヤツ」と大部屋頭・弥一右衛門に探らせる。弥一右衛門はやってきた孫九郎に「腐ったものを喰わせやがって途方もねえ道禄神だ」と言いがかりをつけて暴力をふるう。額に傷を受けて血潮を垂らしながらとにかく謝ったが「こりゃバレたかな」と思った孫九郎は用心して吉良邸まで商売に行かなくなりました。
江戸で見かけた大野九郎兵衛親子を執念深く追い続け、息子・軍右衛門を吉原土手で、逃げた大野九郎兵衛を熊谷で斬り殺し、遺髪を泉岳寺に持って行く。
その後いよいよ仇討ちの晩、潜伏中に自分を侮辱した用人、弥一右衛門を一刀の許に切り捨てた。永らく出入りをしていたので夜討ちの夜はたいそう役に立ったようであります。
「山」つって「山」と答えた吉良の家来、鳥居理右衛門と戦った。
(以上・講談)
引き揚げの最中、芝宇田川町(現・東新橋あたり)近辺で5〜6歳の子供が寄ってきて血まみれ、血みどろ血んがいの装束姿の孫九郎に「おっちゃん、だいとくれ」とリクエスト。袖紋をあげてだっこしながら自分の子供を思い出して行進を続けていると、子供のお母さんがやってきて「すいません、うちの子がどんな粗相をしたかは存じませんが生き血を吸うのだけはご勘弁下さい」とビビって嘆願した。
この子がなぜかその後も泉岳寺参りをやめないので、親の伊勢屋半兵衛(とか米屋の北国屋半三郎とか)はなにかの因縁と、泉岳寺に付け届けをしたと申します。
(仮名手本忠臣蔵をもとに赤穂義士外伝を人情本的に脚色した「いろは文庫」では大高源五(大鷲文吾)のエピソードとして描かれている。)
享年23。
関連項目
- 間瀬久太夫(親父)