立花左近

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 戦前の映画「実録忠臣蔵」(「忠魂義烈 実録忠臣蔵」とは別)においてマキノ省三監督がフィーチャーしたい俳優のためにこしらえた架空キャラクター。(註01)

 垣見五郎兵衛のエピソードがこの人の名前で繰り広げられることがしばしばある。

 往々にして垣見より大胆な演出をされることが多い?


 討ち入り決行を決意した内蔵助が放蕩していた京都をあとにして、いよいよ江戸へ下る(大石の東下り)と言うとき、天野屋が調達してくれた武器も輸送するのだが、それを関所でとがめられないように、立花左近の名を語って虎の尾を踏む思いで道中を急いだ。

 同じ頃本物の立花は九條関白の名代(近衛家とか日野家とか設定は色々)でやっぱり品物を輸送中。

 二組は東海道・鳴海宿で運悪くでっくわす。

 しかし立花は内蔵助たちを主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と察して、自分のほうが偽物だと詫び、本物のIDをくれる。


 立花左近がニセモノを赤穂浪士と察するプロセスはアレンジが様々で、問い詰められた大石が仕方なく白紙の道中手形(もしくは目録)を見せるのがキッカケで、そのあと左近が風呂敷のマーク(定紋、浅野家の丸に違鷹の羽)にハッと気がついたり、「道中記/内蔵助」と書いてあるノートを見たり(大忠臣蔵)、冷光院の位牌を見せたり(ミフネ版・大忠臣蔵)、といろいろある。松方弘樹版・大忠臣蔵では紙にただ一字「怨」と書いてあって不気味でした。


 まれに、「察する」という曖昧な事ではなく以下のような「確認」をするシチュエーションもある。

 バンツマ版では大胆にも事情を察した立花左近が「なにを隠そう拙者は播州赤穂、元浅野の家来大石内蔵助良雄でござる」と逆に名乗る。しかし、こうすることによって暗黙のうちに両者が理解し合えた気になってるだけという、あやふやな部分をクリアにしている。

 また「松方版・赤穂浪士」では家来が苦心して本物の道中手形を入手して、内蔵助は白紙じゃないものをちゃんと持ってる。しかし会話の中で「行き先は江戸表。亡き主人の菩提を弔うために二度と帰らぬ旅の途中でござる」とPRし菩提寺が泉岳寺ということを聞いて立花が理解する。

 というケースもある。


 「忠臣蔵 地の巻/天の巻」「女間者秘聞 赤穂浪士」など、立花左近のエピソードの元となっている「勧進帳」がBGMにかかるケースがある。


 特殊なケースで、島津亜矢の歌謡浪曲を聴くと、左近は本所にわび住まいをしており、討ち入り当日陣太鼓に目を覚ますようすがえがかれている。お公家さんの家来なら京都住まいだと思うので「江戸でわび住まい」はあり得ないと思うが、討ち入りの当日に、左近に陣太鼓で目を覚まさせたい気持ちはわかる。(あッオリジナル(原曲&作詞)は三波春夫先生だった。ウ〜ン…)


 映画「大忠臣蔵」では箱根の関所の番人として登場。「関守の役目にてたびたび垣見殿とは顔見知りの立花左近」と言ってる。垣見と左近の新たな関係性。


 2017年に両国の江戸東京博物館ホールで催されたこども若草歌舞伎で「大石東下り」がかかった。(日本伝統芸能振興会・主催)

 「戦前は地芝居(祭礼などで地域の神社などで上演する芝居。明治〜昭和)でコンパクトに演じられていた」という演目だそうです。小田原宿で出くわすふたり。御許書(みぎょうしょ)を見せろと詰め寄る立花左近…。


註01…出典は1994年発行のキネマ旬報臨時増刊号「忠臣蔵映像の世界」なのだが、本誌にはこの「実録忠臣蔵」を1921年製作としている。

その「実録忠臣蔵」で、立花左近は初登場みたいな書きっぷりだが、左近は1910年の「尾上松之助の忠臣蔵」にすでに登場している。字幕にそう名前が出ているだけなら字幕を別に後年入れたと疑うこともできるが、2018年に新発見のフィルムに宿屋の軒先がとうじょうしており、そこに「立花左近 御宿(旅館?と表示してるように見える)」と掲げてあるシーンが確認できるのだから間違いない。

もっとも、この作品はいろんな尾上松之助の忠臣蔵のツギハギとされているので、1910年のものに1921年のものが混ざっているのかもしれません。