垣見五郎兵衛
垣見五郎兵衛【かきみ ごろべえ】…日野大納言(お公家さん)用人。
天野屋が調達した武器を、仇討ち決行のために輸送しなければいけない大石内蔵助は、江戸へ下向中、天下法度の道具を運ぶので関所でとがめられる恐れがあるから、「日野家の名代で垣見五郎兵衛という人物が禁裏御用のために京都から江戸へ下る」という情報を元に、悪いこととは知りながらこの輸送係の垣見の名を語ることにする。
本物の輸送ルートを中山道だろうと予測して、自分たちは東海道を下ったが、運悪く神奈川宿で本物の垣見の道中とでっくわす。
宿のエントランスに「垣見五郎兵衛御宿」という看板を発見しておどろいたのは本物の五郎兵衛。
彼は最初、自分の名を語る不届きなやつと部屋に踏み込むが、迎えた内蔵助も「我こそが垣見五郎兵衛」とゆずらない。
混乱する垣見だが、すぐに目の前の人物を主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と察し、心の中で「それならそうと言ってくれれば便宜もはかったし、さぞ心を痛めたであろう。なんで通さでなるものか」という同情&応援の気持ちから、自分のほうがニセモノだと詫びる。意外な展開にビックリする内蔵助。
その上「コレ、私の偽造品です。処分しちゃってください」と言って本物のIDを内蔵助にくれる。
まさかの厚意に、ふすまの向こうで控えてる浪士、主税たちも両手を合わせたり土下座して感泣する。
(以上、大石の東下り)
察するプロセスはドラマによってアレンジが様々で、詰め寄られた大石が仕方なく白紙の道中手形やIDを見せるのをキッカケに、垣見がかたわらの荷物のカバーのマーク(定紋、丸に鷹の羽のぶっちがい)にハッと気がついたりするのが主流だが、内蔵助が「これがID」と言って殿の短刀(ちいさがたな/九寸五分)を見せたり、連判状または位牌を見せたり、といろいろ。
情けを受けた内蔵助は堂々とお礼も言えないので「武士は相身互い。よくよくのご事情があってのこととお察し申す」(忠臣蔵(大映)や古田求脚本など)と言ってお礼とする。
二人は別れるが別れるまで本物とニセモノの振りをしとおす。
浪曲では垣見左内(かきみさない)。
大石の東下りと、左内の京都上りで、神奈川宿でぶつかる。ドラマで見るこのシーンで、大石側メンバーが襖の向こうでカタナの柄に手をかけて固唾を呑んでるシーンがあるが、ずっと「偽物とバレたからと言って相手を斬ってしまったところで、どうするんだろう」と思っていたものだが、浪曲では「垣見左内とお供二人を殺したあと、宿に火を放って、ドサクサで逃げる」という作戦だったらしい。(ひどすぎる。笑 京山幸枝若「大石と垣見」)
内蔵助、主税親子が五郎兵衛、左内というふうに化けているという講談もある。
まんが「忠臣蔵とその時代」(シナリオ小林隆)では「わたしは垣見左内の伯父、江州(ごうしゅう)郷士、垣見五郎兵衛でござる。左内の後見人として訴訟のためまいった」と江戸の公事宿「小山屋」に泊まる。
「峠の群像」では同じような伯父甥の関係で日本橋・小山屋に泊まるが、垣見を「カケヒ(筧)」と読んでいる。
史実でも実際に内蔵助はこの名を語っていたということと、歌舞伎の「勧進帳」をヒントにこしらえた物語なんだと思います。
そもそも立花左近(たちばなさこん)というキャラ名でそっくりなシチュエーションがあり、それが映画では定番であった。昭和7年の「忠臣蔵」(松竹/衣笠貞次郎監督/坂東寿三郎、長谷川一夫(林長二郎))から、垣見五郎兵衛(その映画では市川右太衛門が演った)になった説アリ。(要確認)