間十次郎

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役者絵:森田健作
プラモデル「忠臣蔵」より

間十次郎【はざま じゅうじろう】…一番手柄キャラ。


十次郎は討ち入りのときに炭小屋で吉良を見つけた人。一番槍のご褒美に泉岳寺ではお線香を最初に出させてもらってる。

史実でこんなに目立ってる活躍があるのに講談のほうではお家凶変後のエピソードのバリエが多く、メンバー随一。


講談01

元・浅野家江戸支社に出入りの植木屋、棟梁六三郎は浅野家倒産後、以前内匠頭秘蔵の盆栽を壊しちゃった時に助けてくれた恩返しにと、十次郎が国表へ行ってる間、奥さんと坊や(おていと十太郎)のめんどうを買って出る。が、ある日棟梁の奥さん(売春婦あがりでバカ)が、坊やが他人のそら似で棟梁に似てることからおていを愛人と勘違いして頭に血が上り、母子への援助を打ち切る(棟梁たちは出張中)。母子はたちまち貧乏暮らしとなり、おていは病気になる。十太郎が浅草寺で泣いてると通りがかりの江戸っ子が「なにを泣いてるんだ。泣くならキンタマをとっちまえ。いま銭(おたから)をやるからな」と小遣いをくれる。これに味を占めた十太郎は袖乞い(積極的なコジキ)をはじめる。12/14運命の日、相変わらず吾妻橋で「お手のうちを願います」と通りがかりの侍に声をかけたら父・十次郎だった!

十次郎はすぐに妻に会い、放ったらかしを詫び金子を渡して再就職が決まったと嘘をついて去るが、おていは「エ〜、仇討ちしないんだぁ」とがっかりして十太郎と一緒に自害する。十次郎が胸騒ぎで戻ったら妻子が死んでて、遺書に「再就職はやめて仇討ちして忠義を立てて下さい」と書いてある。「感服!魂この世にあらば見物していてくれ!」と討ち入りに遅刻して参加。十次郎は見事一番槍の手柄を立てる。

この講談「十次郎親子別れ」のエピソードは、ほぼフザけている珍説忠臣蔵でここだけマジメに映像化されている。


講談02

別の話では、倒産後、奥さんは江戸で夫・十次郎を待ってる間、食い詰めて昔の奉公人又助(奥さんがヨタカをやって生活してる)の長屋に身を寄せて、ヨタカは出来ないから袖乞いをしようと通りがかりの侍に声をかけたら夫・十次郎だった!というのもある。十次郎はその場で離縁を申し込む(つれないが、討ち入りの口実)。その場でけっこうな手切れ金が手に入るが坊やは疱瘡であえなく死んでしまう。そんなおり実家のDVな父親が押し入り強盗に襲われ殺されてしまうので、家も手に入るが、全部又助夫婦にあげちゃって、おもよは討ち入りのニュースを聞いたあと尼さんになった。


講談03

はたまた、別の逸話では、お家凶変後、十次郎は妻さよを実家の吉田玄石に預け、病気の父・喜兵衛と業平寺の門前で貧乏暮らしをしながら仇討ちの機会を待ってるが、舅の玄石は娘を預かったまま音沙汰もないのでワケがわからず、しまいにはキレてしまい「あんたもずいぶん浮薄不人情だな。娘を離縁するのかひきとるのかどっちかにしろ」と間親子につめより、12月いっぱい待ってくれと言われるのも聞かず、赤ちゃんの十吉を置いて娘を離縁させてしまう。

十次郎には近所にもらい乳をしてしのぐが、そんな夫を陰で見ていた妻・さよは酒屋・萬屋の小僧さんを借りて十吉を連れてこさせ、こっそり乳をあげる日課を始める。そしてやってくる討ち入りのエックス・デー。十次郎は「おまえを生け置くと、一刀の切っ先がなまっちゃうから、不憫だけど先に忠義のさきがけをさせてやる」と赤ちゃんの十吉を小刀で殺そうとする。が十吉は小刀をオモチャだと思い紅葉のような手を伸ばすので「無心なものだ…」思いとどまり、いつもめんどうみてもらってる酒屋・萬屋に十両金と一緒に赤ちゃんを預け、討ち入りに出かける。

ニュースを聞いて婿親子の真意を知った舅・玄石は「そういうことだったのか…。あたら孫ひとり殺したか」と悔やむが、すぐに無事萬屋さんが赤ちゃんを預かってたことを知り、めでたしめでたし。


以上のように講談のほうではひとりのキャラクターにさまざまな逸話が創作される場合がある。十次郎が、隅田川に身を投げようとしてる女性を助けたら奥さんだった、というのもあります。

江戸期と明治期という分け方で、十次郎妻(実際はいないそうですが)が吉良邸に間者で入ったり、上記のようなかわいそうな話になったりでアレンジが変わるとか。

忠臣蔵は80年代にDCコミックスがやるずっとまえから、様々なパラレルワールドのストーリーを作ってるなあ!


赤穂城断絶」では森田健作が青春なかんじでフィーチャーされている。

元禄繚乱」では一番手柄ということで吉良のみしるし(首)をもらう。

声優の羽佐間道夫さん(もりいの広川太一郎のモノマネをほめてくれた)と、お兄さんの羽佐間正雄さん(フリーアナウンサー/もりいの高校の先輩)は子孫。

実像の彼は、武林唯七と親友。武林のお兄さんにあとをたのむ手紙が残っているのだが、その中に「京都島原も伏見も江戸の吉原も一回ずつくらい行って、浮世に思い残すことはない」と、書き残しているのがすごくリアルで、印象的。


享年26。

間重次郎。間重治郎。


関連項目