イヌの仇討
作品概要 | |
制作会社 | こまつ座 |
---|---|
公開年度 | 1988年 |
内蔵助役 | --- |
評価 |
井上ひさしのお芝居。
80年代のお芝居だが見たのは2017.7月。新宿・紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAでの、29年ぶりの再演。
<あらすじ>
赤穂浪士の急襲から逃れた吉良上野介と、彼を守る用人・清水一学ら3人、女中ふたり(ひとりは将軍綱吉から拝領したイヌと座布団を抱えている)。側女ひとりにばあやが一人、炭置き部屋(と味噌蔵をつなげた隠れ部屋)に逃げ込み、身を潜める。
そこにそもそも身を隠していた泥棒や、出たり入ったりして実況報告をする牧野春齋をまじえ、最初おびえていた吉良が次第に大石内蔵助が「なにをしに来たのか」の本質を解釈し始め、死を覚悟するまでが描かれる。
ストレートに面白く、ともかく日本語のチョイスが、うれしくなるくらい豊か。(<井上ひさしさんのファンなら当たり前とお思いになるにちがいないが)
構成や笑いのこしらえは見事で品があり、キャラ設定に無理がない。場面転換は一切無いのに見応えもじゅうぶん。ちょっと井上ひさし作品にハマりそう。
なのに星3つ。
このオハナシは、観客にとって(あるいは世間の風潮が)四十七士の討ち入りが「義士の義挙」であると当たり前に思ってる前提があるからこそなりたつのだが、こんにちにあっては忠臣蔵離れがヒドいのと、知ってる人は知ってる人で吉良に対して同情的になってきていることから2017年は向いてなかったのかもなどと思った。
そうした風潮に食傷気味のあたしには、たとえば「わたしが浅野の腹を切らせたわけではない。かたきを討たれる筋合いはない」という吉良の主張は当時は斬新だったかもだがもう、個人的には最近聞き飽きている。(誤解してほしくないがお芝居全体はけっして陳腐に色あせてはいない。例えが伝わらないかもだが、高級なカレーライスをディナーで出されて本当はうれしいのに心のなかで「昼もカレーだったんだよな」と思っちゃったから三ツ星、みたいな、そういう個人的気まぐれとお察し願いたい(笑)。)
かと言って現代風にアレンジしたりせず初演当時と同じ内容(<要確認。ちなみに'88年版の狆はラジコンじかけだったとか。本作では手踊り人形)のものを観られたのは嬉しかったが、上記のような感覚は残った。
で、「赤穂義士のおこないは正義なのか?」という疑問を投げかけるために吉良視点で松の大廊下からXデーにいたるまでを台詞でおさらいして赤穂藩の有り様や幕府、町民などの矛盾点などを突いていって痛快なはずなのだが、そこに説得力を持たせるために吉良上野介を完全に「善人」に仕立て上げてしまったことがいささか鼻についた。(同時に四十七士を少し落としている。)
強欲で上杉家家臣からもウザがられたり、親類からも逆上されそうになったりしたという吉良上野介についての性格がアレな人物像や、名家で重責をになってるだけに超いばりん坊の「高家衆」の有り様など(詳細は歴史を研究している方たちの著作物でごらんいただくとして)、すべて無かったことにして家来たちみんなから好かれてる好人物にアレンジしている。
さらに、浅野は小刀を振り舞わしたりせずぶつかって自分を首尾よく殺せば苦労はなかったと、すっごく潔い吉岡流免許皆伝の「武士」としてのふくらませよう。
コレ、今回吉良を演じているのがわたしの好きな大谷亮介=「相棒」のトリオ・ザ・捜一から抜けたベテラン刑事=だったからワクワク観ていられたようなものの、虫の好かない役者だったらアウトな(やりすぎ)設定である。(初演はすまけいさんだったらしいが、悪役面の役者さんをわざと当てることで効果的にギャップとバランスを保つ狙いかと。)
やがて吉良は、あれだけ尽くした将軍が自身の片落ちの裁定を棚に上げて世情(浅野びいき)の人気を優先して自分を本所深川なんぞに厄介払いしたと解釈しはじめるのと、大石がやろうとしていることが仇討ちではなく幕府への反逆と理解し始めることとうまくリンクしてきて、こうなったら討ち入りをとことん美談にするために喜んで死んでやるとばかりに炭小屋を飛び出す。幕府のイヌとして働いてきた吉良の仇討である。
なんというか、ととのいすぎ。(註01)
さりとてコンパクトな構成でこの重厚なテーマをコミカルにパッケージしたのは見事としか言いようがなく、お芝居としては満点。
きれいごとすぎるのは「赤穂義士伝」の常套手段だから逆をやったと思えば、おもしろい。
註01…井上先生はご出身が米沢のご近所であり、それを考えると胃の腑に落ちまする。地元では忠臣蔵は嫌われていたが、井上作品は珍しく上演されたとか。
オペラ イヌの仇討 あるいは吉良の決断
作品概要 | |
制作会社 | オペラシアターこんにゃく座 |
---|---|
公開年度 | 2018年 |
内蔵助役 | --- |
評価 |
ブラボー!こうふん!
まさか吉良モノでこんなにポロポロ泣くとは思わなかった。
それも、一回芝居で観て知ってる出し物なのにオペラになったら自分の中のモードが変わった。
もっとも、オペラ化するにあたって原作・井上ひさし先生のセリフはテキスト・レジー(改変)されており(そりゃそうだ。セリフにメロディーがついてるぶん、オペラや義太夫の尺にしたらいつまでたっても劇場にお預けのままだ)、それが音楽劇という特有の表現の中で生まれ変わり、同じようで違う作品になってるのであります。
もぉ〜、バルコニー席という見たこともないアングルから舞台を見下ろしてたのも高まった(演出はあくまで正面から見た効果を念頭にしているけど)。音はピアノとバイオリンの生演奏。
セリフをおぼえる上に曲もおぼえて、それでいて聴かせる歌唱力でなくちゃいけないという、演者さんに国はなにかしら補助をすべきスキルであります。
オリジナルでは、井上先生の言葉術で織り成すコミカルでいてシリアスな問題提起みたいな内容だったのが、オペラで見た印象だと吉良を守ろうとする周囲の人間たち(近習、女中、行火たち)の忠義がストレートに感動につながる。
誤解を承知で言わせてもらうと、井上ひさし先生の劇の泥臭さより、オペラというハイソな雰囲気が高家筆頭たる吉良上野介にピッタリ合っている気がいたします。(そして「悲劇」というたたずまいもオペラ向きなのかも。)
2002年に初演だったらしく16年ぶりの再演を観賞。
この作品の存在は間違いなく、吉良上野介の供養になることでしょう。