「浅野内匠頭」の版間の差分
細 |
細 |
||
45行目: | 45行目: | ||
内匠頭は一代で江戸城警備、消防隊、普請の手伝い、任期中に二回の饗応役(かなりレアとか?)など、幕府からいっぱい御用を言いつけられており、なかなか大変だったとお見受けいたします。 | 内匠頭は一代で江戸城警備、消防隊、普請の手伝い、任期中に二回の饗応役(かなりレアとか?)など、幕府からいっぱい御用を言いつけられており、なかなか大変だったとお見受けいたします。 | ||
− | + | カネのかかる用事をさんざん言いつけられたのも、豊臣系の浅野家をこころよく思ってない徳川幕府(<小藩取り潰しにも躍起)のいじわると考えられる? | |
2014年3月16日 (日) 01:07時点における版
浅野内匠頭【あさの たくみのかみ(長矩ながのり)】
赤穂領主。
謹厳実直でクソがつくほどマジメキャラ。カタブツで、殿様なのに側室(愛人)がいない愛妻家で、映画やドラマではしばしば奥さんの琴の演奏を聴くのが大好きという演出がなされる。
赤穂の、とあるタクシーの運転手さん(大阪出身)は「嫁はんより小姓を愛しはったんですなあ」とゲイ(江戸時代の衆道はあたりまえ)だったと主張。
なにもかも、この人が江戸城の大イベント中に廊下で上司を斬りつけたのがきっかけ。どうしてそんな奇行に走ったかは300年経った今も謎。
上司、吉良のパワハラが原因であるというのが定説。
内匠頭の親戚も過去にどっかで同じような事件を起こしている。
5万3千石。塩田も入れると7万とも8万石ともいわれなにげ裕福だが、忠臣蔵物語の中では、おなじイベント接待部の伊達君より領地が広いのに進物はショボかった。「おべっかつかうのはきらいじゃ」というこの無作法が吉良の逆鱗に触れる。
刃傷事件前はたいがいのドラマで部下が浅野に「何事もご忍耐第一に!」と心配してくれている。
(実際は地元の水道工事や京都御所 紫宸殿の建て直しにたいへん散在して、裕福どころか天守も建てられないほど嚢中はさみしかったとか。)
当時の勤務評価に「短慮」と記されていたり、感情が高ぶると胸が苦しくなる「痞(つかえ)」という病気持ちだったとも伝えられるところから、ドラマでもすぐおなかが痛くなったりつむじがいたくなったりしてる演出が見られる。
「突く」ための脇差しで斬りつけたり、理由も言わず「遺恨」を再三くちにしてることから、被害妄想を伴う精神病説も言われているらしく、「たけし版」ではそこに言及し、ジェームス三木は「瑤泉院の陰謀」では大胆にも、内匠頭をはっきりとトリッキーなキャラとして描いている。
しかし、ドラマなどで大げさにクローズアップされることが少ないが、そもそも戦国時代は豊臣秀吉と縁続きな上、ブレーンの筆頭だったたけだけしい家柄で、「辱められるならやっちまえ」という山鹿素行先生の教えも助けて「喧嘩上等」の姿勢なのではなかったかとも推測される。
遺書らしきものには「言っといたらよかったんだけど、言わないでおきます。さぞ不審でしょうね」という言葉を残して死んでいっちゃって、これまた謎。
辞世「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」(いまいち意味不明)もこの句を伝えた多門伝八郎の創作とも言われフィクション説が濃厚とか。
とにかく謎のすべては、お上がくわしく取り調べをしないで「すぐに切腹!」と裁決したお手軽さが原因。
内匠頭は一代で江戸城警備、消防隊、普請の手伝い、任期中に二回の饗応役(かなりレアとか?)など、幕府からいっぱい御用を言いつけられており、なかなか大変だったとお見受けいたします。
カネのかかる用事をさんざん言いつけられたのも、豊臣系の浅野家をこころよく思ってない徳川幕府(<小藩取り潰しにも躍起)のいじわると考えられる?
仮名手本忠臣蔵の塩治判官(えんやはんがん)。
年貢が重かったとかで、アンチ忠臣蔵の人は内匠頭の切腹を聞いた領民が餅をついたとか赤飯を炊いたと言われるエピソードをことさら引き合いに出すが、これは播州浅野家のあとを継いだ森家の借金20万両とも言われる政治の過酷さが前の領主に影響した誤伝とも言われている。
享年35。