萱野三平
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萱野三平【かやの さんぺい】…切腹して不参加。(でも霊は参加?)
早水藤左衛門と早駕籠で事件の第一報を赤穂へもたらした人。
江戸から赤穂まで、歩いてるばあさんをも蹴散らし僅か4日で走破している(駕篭だけど)。
道中、たまたま摂津・伊丹の故郷にさしかかったとき母親の葬列に偶然にも出くわしたが「非常の場合だ。駕籠屋、行け!!母上!なにとぞお許しくだされえ〜!!」と涙ながらにスルーしたエピソードもある。
討ち入りメンバーに加わるが、父親が強く実家の跡を継いでほしがったことから「踏みとどまれば忠ならず。江戸へ下れば孝ならず」と板挟みに悩み苦しみ、切腹しか無いと決断し自害する。
板挟みのネタは物語によっては、吉良家とつながりの深い家との縁談を持ちかけられたり、父親が再就職先を見つけてきたりというバージョンもある。
「君父忠孝の間にていささか当惑。これにより自殺つかまつり候」(江赤家秘録in東京大学)
討ち入りのときに内蔵助は彼の名前の書いてあるやたて短冊を槍の先にくくってたりとか、だれかが遺書を懐にいれて討ち入りしたという話もある。
泉岳寺に「刃道喜劍信士」と彫られた供養塔があり長いこと誰のものかわからなくて、戒名から後付けで創作された「村上喜剣」を実在する人と思った人もいた。現在は萱野三平のものと言われている。なるほど生前、大の仲良し(俳句仲間)の大高源五の隣にしつらえております。
四十八番目の志士といわれ、歌川国芳や豊原国周の絵には半透明の幽霊キャラの義士として描かれている。
享年28歳。
関連項目
- 早野勘平(三平をオリジナルにした歌舞伎のキャラ)