「寺坂吉右衛門」の版間の差分
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+ | 20歳の時、忠太夫他界。ここで息子・忠左衛門の家来になるわけだが、寺坂は吉田家の下女・おたねをはらませちゃったんで「不埒(ふらち)だ」ということでカノジョともどもクビになり、路頭に迷いかける。が、おたねの背中に五十両という大金が縫い込んであり、主人の恩をありがたいと多いに反省して江戸で心機一転をはかる。 | ||
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+ | 江戸で八百屋になり、やがて生まれた子供を「おかる」(えー?)と名付けて育てます。 | ||
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+ | そのまた13年後、野菜を売って歩いていてばったりと浪人している吉田忠左衛門と再会。やがて忠左衛門は堀部弥兵衛の推挙で浅野家の再就職が決まるが支度金に50両が必要となり、奥さんが悩んでいたので、寺坂は工面を約束して長屋に帰るが貧乏暮らしで金策のあてはない。見かねた娘おかる(13)は「あたしフーゾクで働く!裏の飴屋のキイちゃんが30両で売れたと言うからあたしはもうちょっと金になる」と申し出る。気は進まないけど忠義のためだからここはおかるの体で借金しようということで新吉原の松葉屋でおかるは奉公を始める。(えー?) | ||
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+ | 女衒にピンハネされつつもなんとか作った50両を豆炒りにかくして忠左衛門に納品。 | ||
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+ | 不本意だが会いにいっても寺坂は居留守を使うので忠左衛門はもらったオカネを元手に質屋に入れていた武具を出す。すると、その時払った金が土蔵破りで盗まれたものと判明したので忠左衛門は無実の罪でお縄になり、寺坂をかばうために「たしかに自分が土蔵破り」とウソの供述。事情を知った寺坂が女衒に怒鳴り込み奉行所に突き出す。奉行所で調べてみると松葉屋の得意客が花魁を身請けするのに泥棒して作った金が出回った者と判明した。各人のお裁きのあと八方うまくおさまり、おかるも孝行の段、神妙ということで親元へ帰る。 | ||
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[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本]]では[[お軽]]のおにいさんで、メンバーに加わりたくて一力茶屋で自己アピール。キャラも膨らんでる。ぶっちゃけ、仮名手本忠臣蔵でもっとも目立ってる浪士。 | [[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本]]では[[お軽]]のおにいさんで、メンバーに加わりたくて一力茶屋で自己アピール。キャラも膨らんでる。ぶっちゃけ、仮名手本忠臣蔵でもっとも目立ってる浪士。 | ||
− | 田舎に引っ込んで結婚して1年あまり、病気のお父さんと3人で貧乏暮らしをしていたがいよいよ東へ下ると言うとき、わざと大ケンカをして勘当されるよう仕向け、女房おきたも離縁して出て行く。道中、鳩の親子を見てほだされ、実家でわざとケンカをふっかけたことを後悔して戻ってみると薬屋がいままでの朝鮮人参代20両の肩代わりにと奥さんを連れて行こうとしていたのであげちゃう(ひどいなあ)。お父さんは「なんで帰ってきたんだ。コレは餞別だ」と言って切腹する。(なんだこの話) | + | 田舎に引っ込んで結婚して1年あまり、病気のお父さんと3人で貧乏暮らしをしていたがいよいよ東へ下ると言うとき、わざと大ケンカをして勘当されるよう仕向け、女房おきたも離縁して出て行く。道中、鳩の親子を見てほだされ、実家でわざとケンカをふっかけたことを後悔して戻ってみると薬屋がいままでの朝鮮人参代20両の肩代わりにと奥さんを連れて行こうとしていたのであげちゃう(ひどいなあ)。お父さんは「なんで帰ってきたんだ。コレは餞別だ」と言って切腹する。(なんだこの話) |
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+ | 以上、歌舞伎スピン・オフ「鳩の平右衛門」 | ||
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+ | 浪曲では大石の「ふところがたな」。 | ||
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+ | 討ち入りに加わわらしてもらいながら途中でいなくなってる。密命を受ける設定が主ですが、逃亡説もあるそうです。 | ||
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+ | ドラマでは山科村の内蔵助の家(あるいは江戸急進派の長屋)の下男だったり、忍者のようにとびまわったりと、演出がさまざま。討ち入り後みんなと泉岳寺に行かずに各所に伝令に走ってたりする。「きちえ」と呼ばれる。 | ||
上川隆也を添えて「[[最後の忠臣蔵]]」では主人公だが、やはり「足軽」っぽさは「[[日曜劇場 女たちの忠臣蔵〜いのち燃ゆる時〜|女たちの忠臣蔵]]」の岡本信人がピッタリである。「[[新春仕事人スペシャル 必殺忠臣蔵|必殺忠臣蔵]]」では近藤正臣がクールな忍者まがいに演じた。 | 上川隆也を添えて「[[最後の忠臣蔵]]」では主人公だが、やはり「足軽」っぽさは「[[日曜劇場 女たちの忠臣蔵〜いのち燃ゆる時〜|女たちの忠臣蔵]]」の岡本信人がピッタリである。「[[新春仕事人スペシャル 必殺忠臣蔵|必殺忠臣蔵]]」では近藤正臣がクールな忍者まがいに演じた。 |
2009年1月10日 (土) 14:38時点における版
寺坂吉右衛門 【てらさか きちえもん】…生き残りキャラ。
メンバー唯一の生存者。
足軽という低い身分で武士ではなく、直接の主人は浅野内匠頭ではなく吉田忠左衛門。
講談
ある日、丹波篠山の城主に仕える吉田忠太夫(忠左衛門の父)が墓参の帰り道、ミカン箱の入って泣いてる生まれて百日と経ってない捨て子(風車も一緒においてある)を拾い、寺の坂で拾ったのでこれを寺坂、行く末に吉きことと重なればと吉右衛門と名付け、育てる。
20歳の時、忠太夫他界。ここで息子・忠左衛門の家来になるわけだが、寺坂は吉田家の下女・おたねをはらませちゃったんで「不埒(ふらち)だ」ということでカノジョともどもクビになり、路頭に迷いかける。が、おたねの背中に五十両という大金が縫い込んであり、主人の恩をありがたいと多いに反省して江戸で心機一転をはかる。
江戸で八百屋になり、やがて生まれた子供を「おかる」(えー?)と名付けて育てます。
そのまた13年後、野菜を売って歩いていてばったりと浪人している吉田忠左衛門と再会。やがて忠左衛門は堀部弥兵衛の推挙で浅野家の再就職が決まるが支度金に50両が必要となり、奥さんが悩んでいたので、寺坂は工面を約束して長屋に帰るが貧乏暮らしで金策のあてはない。見かねた娘おかる(13)は「あたしフーゾクで働く!裏の飴屋のキイちゃんが30両で売れたと言うからあたしはもうちょっと金になる」と申し出る。気は進まないけど忠義のためだからここはおかるの体で借金しようということで新吉原の松葉屋でおかるは奉公を始める。(えー?)
女衒にピンハネされつつもなんとか作った50両を豆炒りにかくして忠左衛門に納品。
不本意だが会いにいっても寺坂は居留守を使うので忠左衛門はもらったオカネを元手に質屋に入れていた武具を出す。すると、その時払った金が土蔵破りで盗まれたものと判明したので忠左衛門は無実の罪でお縄になり、寺坂をかばうために「たしかに自分が土蔵破り」とウソの供述。事情を知った寺坂が女衒に怒鳴り込み奉行所に突き出す。奉行所で調べてみると松葉屋の得意客が花魁を身請けするのに泥棒して作った金が出回った者と判明した。各人のお裁きのあと八方うまくおさまり、おかるも孝行の段、神妙ということで親元へ帰る。
歌舞伎
仮名手本ではお軽のおにいさんで、メンバーに加わりたくて一力茶屋で自己アピール。キャラも膨らんでる。ぶっちゃけ、仮名手本忠臣蔵でもっとも目立ってる浪士。
田舎に引っ込んで結婚して1年あまり、病気のお父さんと3人で貧乏暮らしをしていたがいよいよ東へ下ると言うとき、わざと大ケンカをして勘当されるよう仕向け、女房おきたも離縁して出て行く。道中、鳩の親子を見てほだされ、実家でわざとケンカをふっかけたことを後悔して戻ってみると薬屋がいままでの朝鮮人参代20両の肩代わりにと奥さんを連れて行こうとしていたのであげちゃう(ひどいなあ)。お父さんは「なんで帰ってきたんだ。コレは餞別だ」と言って切腹する。(なんだこの話)
以上、歌舞伎スピン・オフ「鳩の平右衛門」
浪曲では大石の「ふところがたな」。
討ち入りに加わわらしてもらいながら途中でいなくなってる。密命を受ける設定が主ですが、逃亡説もあるそうです。
ドラマでは山科村の内蔵助の家(あるいは江戸急進派の長屋)の下男だったり、忍者のようにとびまわったりと、演出がさまざま。討ち入り後みんなと泉岳寺に行かずに各所に伝令に走ってたりする。「きちえ」と呼ばれる。
上川隆也を添えて「最後の忠臣蔵」では主人公だが、やはり「足軽」っぽさは「女たちの忠臣蔵」の岡本信人がピッタリである。「必殺忠臣蔵」では近藤正臣がクールな忍者まがいに演じた。
浪曲では寺西弥太夫(てらにし やだゆう)という名でアレンジされている。寺西吉右衛門と唄う浪曲師もいる。仮名手本忠臣蔵では寺岡平右衛門。
討ち入り当時38歳。とにかく処刑もされず天寿を全うしてる。
あたしがみずほ銀行に通帳の更新に行ったら時間が早くて開店前だったんで自転車で近所をウロウロしてテキトウに境内に入った曹渓寺が、寺坂吉右衛門が晩年寺男として働き、葬られてるお寺だった。
享年83歳