大阪町人
作品概要 | |
制作会社 | 大映 |
---|---|
公開年度 | 1942年 |
内蔵助役 | 薄田研二 |
評価 |
もりいは、本作品の存在を知ってからこっち、まぁ〜上映の機会を待ったこと、待ったこと!気づけば10年以上経っていた。
コロナ頃から数年、恒例になってる、浪曲と映画の抱合せのイベント「浪曲映画祭」。Facebookでつながってる天中軒雲月師匠の書き込みから、上映があることを知り、なんせ1日限りだってんで、取材があった日だったけど、西日暮里の取材がはけて、横っ飛びに渋谷のユーロスペースへ!
雲月師匠の「天野屋利兵衛」に、曲師は、あたしが武春さんと最後に飲んだ夜に、急な呼び出しにも関わらず、浅草の水口食堂に駆けつけてくれた沢村美舟師匠(当時はソバージュの若い衆'15)の三味線。
それと、この映画の上映でした。
<ネタバレあります>
戦時中の映画というのはともかく、映画法のもとに、地味な作りになっていて、この作品も天野屋利兵衛(羅門光三郎)が主人公のハナシなのだが、「男でござる!」って言わないし。それが映画法のせいなのか、森一生監督(!)のこだわりなのかは、もはや、謎。
代わりと言っちゃあなんだが、天野屋の奥さんが、夫が大石内蔵助と通じているのを知っていながら、大阪奉行の詮議に口を割らなかったことを、天野屋に感心されたときに、「おそのは商人(あきんど)の女房でございます!」というシーンが有る。
フィルム検閲は息子、芳松も焼けた鉄板の上など歩かせない。おうちで留守番(子役がかわいい!ていうか森一生作品はいつも、なにかがかわいい)(ちなみに本作においては、子の名は利太郎)。
あらすじは、松の廊下事件から1年経ったある日、18年も義太夫のスポンサーをやって上機嫌でホムパをやってる最中の天野屋利兵衛が屋根舟に呼び出され、男を見込まれ、大石内蔵助から武器調達の密命を受ける。
それからというもの、従業員など身内には「近衛家」「池田屋」の注文だと言い聞かせて、店はなぞの武器仕事(縄梯子を編むなど)で手一杯になるが、こどもが縄梯子をいたずらしてケガをしたことからご禁制の業務内容が明るみに出て、町奉行所に怪しまれ、やがて天野屋利兵衛は入牢。両腕が上がらなくなるほどの拷問を受ける。(ちなみに拷問シーンは無い)
「50日待ってくれれば、きっとそのときに白状する」と言う天野屋に、なにかを感じた奉行・松野河内守はその言葉に賭けてみようと、拷問をしたがる部下の諫言も振り切り、天野屋を解放する。
運命の12月14日から数日後、約束の50日目を過ぎた12月21日になっても出頭してこない天野屋に「見込み違いだったか」と、河内守は切腹を考え、天野屋も自宅で自死を考え、手が利かないので妻・おそのに遺書を書かせようとするが、そこへタイムラグを以て江戸で討ち入りのニュースが飛び込んでくる。
武器調達の理由が判明した天野屋は追放刑になり、河内守も辞職するのだった。
そもそも物静かな森一生作品に映画法が追い打ちをかけて、全編が抑揚のないトーン(<良い意味。品があります。)になっており、隣の席のお兄さんはすっかり飽きてしまったようすで、もりいがにらみつけるまで貧乏ゆすりが止まらなくなっていた。
そんな映画。
あれだけ両腕が使えないようすを劇中でながなが演出しておいて、最後、何事もなかったように健康体になってるのも、どうかと思ったが、時代的にいろいろなにか事情があるのかも。
<附言>大石内蔵助役に薄田研二が出ていてビックリした。当時の芸名「高山徳右衛門」でクレジットされていたので気がつかなかった次第。
大石内蔵助と吉良上野介の両方をやった役者はいるが、戦争以前ってことになると、吉良像が凄まじいステレオタイプで描かれていただけに、意外に珍しかったのではなかろうか。
<附附言>
忠臣蔵お友だちの調べによりますと、本作は終戦の折り、ソ連軍が満州から撤退する際に、満州映画からかっさらっていった機材やフィルムの中に混ざっており、90年代に入ってから東京国立フイルムセンターが現地調査で発見したものだそうであります。
波乱に富んだ存在の本作をシレッと上映しちゃうんだからもう…