塩山伊左衛門

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役者絵:左とん平
背筋の紋をうちみれば丸に井桁は塩山の家に伝わるご定紋

塩山伊左衛門【しおやま いざえもん】…赤埴源蔵の兄。脇坂淡路守の家来。

子供の頃、手習いをマジメにやらなくて親父に怒られ蔵に閉じ込められた源蔵との思い出がある。ばあやはそのとき塩むすびをこしらえてくれた。母親は「恥をかくか死ぬかだったら死を選べ」と言う人だった。


お家大変後、弟の赤埴源蔵は飲んだくれてちっとも仇討ちに関心を持たないので(実はフリなのに)怒る。


討ち入りとなって源蔵がお別れの挨拶に来た時は留守だった。

奥さんが仮病で会ってあげなかったことを帰宅後悔やむ。「なんの用事だったんだろう…」

夜が明けて討ち入りのさわぎがあり、仙台様の屋敷でメンバーがお粥を食べてると聞き、彼は下男の市助に「わが弟、源蔵たしかにありとおぼえたり!見届けてきてくれ!」とたのむ。実際いたときは大声で吹聴して帰ってこい。いなかったら「おらなかった」と小さな声で報告せよと言いつける。「あんな飲んだくれ、いるわけねえじゃねえか」と文句を言いながら市助が確認に行き、人ごみをこけつまろびつかき分けて確認すると「おお!市助か!」。返り血だらけの源蔵がいた。彼は市助に兄嫁に癪の薬を、兄に槍の柄についていた短冊を形見に渡す。

市助は感動に泣きじゃくりながら家に寄っていってくれと懇願するが源蔵はにっこり笑って死にに行く。

噂を聞いた脇坂家が「あやかりたい」と徳利をもらいうけて大切にいたしました(以上、浪曲のバージョン)。


講談版では、弟がメンバーであっても、一応罪人だから自重してとにかく「いてもいなくても忍んで帰って参れ」と家僕の市治に言う。

家僕・市治の報告を受けた伊左衛門がゆうべ源蔵の座ってたところを前にしてあらためて酒を酌み交わす。


「徳利の別れ」 

しろうと落語「赤垣源蔵 徳利の別れ」



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