四十八人目
作品概要 | |
制作会社 | 松竹キネマ |
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公開年度 | 1936年 |
内蔵助役 | 松本泰輔 |
評価 |
「時代劇の父」と言われた伊藤大輔監督作品。
脱盟者の心の揺らぎをテーマにした作品だが、226事件があって、満州のほうがゴチャゴチャしてて、公開の翌年に盧溝橋事件という時代を背景にしながらなんというか、ひじょうに左翼的というか(傾向映画のなごり?)、撮り方(構図が凝ってるし、移動撮影などダイナミック)とともにテーマも大胆だなと思った。
(附言:Wikiによれば、そもそも伊藤大輔監督はそういう思想の監督だったらしい。)
同時に本筋と関係ない部分に入れてくる要素にはラブリーなモノが多く(浪士のアジトでウロウロする飛べないカラスとかブランコとか…)、繊細なカットもあるし、とにかく退屈させないおもてなし。
この監督にしてトーキー2作目という時代の作品だから、サイレントの時のようなかわいらしいかんじを想像していただけに、いい意味で裏切られてハッと目を見張るシーンもいくつもある傑作。
ストーリーは、簡単に言うと、恋愛をしちゃった毛利小平太(坂東好太郎)の、討ち入りへの「行きぞこない」ばなし。
ただ、この行きそこないについては、最初は断然ヤル気だったのである。
「5日にいよいよだ!」ってことで、「わけは言えないけど、さらばっ!」つって泣く泣くガールフレンドとお別れして仲間のところに駆けつけると
「中止でござるよ」「延期なんだ」
この「ドタキャン」が数回あっては、毛利のモチベーションが次第にゆらいでいく。
でまた、このガールフレンドを演じるのが、若き日の山田五十鈴なのだが、この、掃きだめに舞い降りた丹頂鶴のような彼女は、決心を揺るがせるのにじゅうぶんな美貌をお持ち合わせなのであります。
脱盟者にスポットを当てるからといって、討ち入りに出かける義士を乱暴に描くかというとそうでもないのがこの映画の良いところで、
オープニングからずっとアジトにいる、聾唖のちっちゃい子が(この子がまた良いアクセントなのだ。)なかよしの小平太にいちゃんが討ち入り当日いないもんだから、不安げな顔をして、小平太のわらじを胸に抱いてるんだけど、その彼を、浪士たちが命を捨てに出かける際、ひとりひとりがまるで命を託すかのように、坊やの頭をなでたり顔をさすったり肩を叩いて出かけていく姿は、なかなかホロリとさせられる。
討ち入り当日もお別れを言いにガールフレンドのところに来てた小平太だったが、会えずじまいな上に大遅刻をしてしまい、あとから駆けつけた時には吉良邸内から勝ちどきが上がっており、夜が明けてガックリ落ち込む彼に、ガールフレンドが一生添い遂げようとコクる。
ともかく、見ていて面白かったのだが、中盤でフと、知らないヒトが見たらなんの映画なのか全然理解できない作品だなと思った。事件に対する解説の無さ加減は、連ドラの途中の一話なみである。
最初に「小平太何処へ行く」と出たんで、え?これタイトル?と思ったら最後は「四十八人目の浪士」と出て、結局どっちもタイトルではないという、文字系がゆるい特徴がある。