わんわん忠臣蔵

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作品概要
制作会社 東映
公開年度 1963年
内蔵助役 ロック
評価 2ツ星
ビデオパッケージ。

けだもの版忠臣蔵。東映動画のアニメ。

お母さん(白い犬)を虎のキラーに殺されたんで、その復讐に息子のロックが仲間と立ち上がる。


さすが当時の東映アニメ、共産圏の映画なみによく動いてる。

はじめはかわいらしさにグイグイ引き込まれる。次第に淡々としはじめていささか退屈しそうになるが、うまいタイミングで雪が降って討ち入りになる。

罪のない、クオリティの高い作品。


原案・構成:手塚治虫っていうのがすごくそそるが、出来上がったものは手塚先生の考えから相当離れてるとか…。

手塚治虫の公式ホームページでもこの件について触れてるコンテンツがあり、当初は『森の忠臣蔵』というタイトルで絵コンテまで執筆したのが企画会議の果てに路線変更されたというようなことが書いてある。

物語の内容が最終的に「お殿様の仇」ではなく「母親の仇」とした設定の変更したことについては、サイトによると「戦争の悲惨さを体験している手塚が、どうしても「お殿様=自分の国」のための戦い、ということは描きたくない、という思いが現れているのかもしれません。」と記されている。


この「予想」の成否はともかく、儒教的な忠誠心だけでストーリーを組み立てるのは手塚先生の芸風ではないかもですね。

そもそも先生は「勧善懲悪のハナシは描かない」と明言してらっしゃるそうです(※01)。善悪という二元的な捉え方はあたかもその間に境界線があるようだが、人間の善と悪とは行ったり来たりする…というお考えだったようなので。

そこへいくと勧善懲悪の取り締まりみたいな「忠臣蔵」という題材で、過去に「西遊記」('60)の時に東映との間でヒューマン・リレーションの上でそうとう懲りた先生が、過去10年に何本も忠臣蔵を撮って、いわばお家芸的にしちゃってる?東映さんと仲良く最後までこのプロジェクトに付き合えるとはとうてい思えない。

ともあれ、世間から讃えられた四十七士の「正義」への疑い。というものを手塚先生なりに見つけていたとしたら、手塚版「忠臣蔵」をアニメでも漫画でもいいからそうとう観てみたかった。

(ていうか、そもそも手塚先生は浪花節がお嫌い。(「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」2015年4月)



<加筆>

・・・と、四の五のと上記のようにイキがって書きましたが、上の記述から1年ほど経って、実は本作のアイデアがほとんど手塚先生のものである証言が載ってる東映動画初期の演出家・白川大作氏のインタビューを遅まきながら発見!(webアニメスタイル ■東映長編研究 第13回 白川大作インタビュー(5) メイキング・オブ『わんわん忠臣蔵』

内容がベタな忠臣蔵になってないのは、「戦争がどうのこうの」ではなく手塚さんも白川さんもどちらかと言うと、ドメスティックな香りよりももっとモダンなディズニー的なものがやりたかったという、ひじょうにわかりやすい理由からのようだ。(往々にしてファンというものは勝手な深読みが過ぎますw)

内容について「忠臣蔵」と「こがね丸」(巌谷小波・作)をミックスして無国籍的にしたとか、カットされた場面にはペットショップで知りあった恋人(恋犬?)同士の別れに「あたしゃ売られていくわいな」という仮名手本忠臣蔵(ていうかドンドン節)のパロディもあった、など貴重なお話が読めます。

とにかく手塚先生は現場に足を運ぶことはなかったものの、遅筆ながらラフコンテで内容をコツコツ提出し、アニメ担当はソレを元に脚本を書いて、絵コンテにして映画にしたとか。だからこの作品は堂々とした「手塚治虫原案」でありますわい。(※02)


(※01)・・・NHK「戦後史証言プロジェクト」で紹介された昭和57年リリース「ユリイカ s58年2月号」で巖谷國士氏との対談より。(うへーっ奇しくも巖谷國士さんは先述の巖谷小波先生のお孫さん)

(※02)・・・コンテを渡してたのは事実らしいが手塚先生の自伝的記録には「出来上がりはボクの考えていたのとまるっきり違っていた」と語っていたと言う。もうわかりましぇん。(少年画報社「鉄腕アトムの歌が聞こえる ~手塚治虫とその時代~」要確認)


わんわん忠臣蔵 [DVD]

堀絢子 出演, 木下秀雄 出演