赤埴源蔵
赤埴源蔵【あかばね げんぞう】…呑気キャラ。あかはに げんぞう。
よく赤垣(あかがき)と間違われる。江戸急進派。
義理のお兄さん(塩山伊左衛門)がいて、源蔵はいつも飲んだくれてちょいちょい訪ねるので兄嫁(おまき)はあまりよく思っていない。
討ち入りの日、雪の中を饅頭笠に赤合羽姿で、股の間に一升徳利をぶら下げて(持って歩くのが冷たいから)お兄さんに別れの挨拶に行くが留守で、兄嫁はまた飲んだくれの相手をさせられるのがいやで仮病を使い、床に入って会わない。源蔵は仕方なく対応に出てきた女中のおすぎに言いつけて兄の羽織を持ってこさせ、羽織に向かっていとまごいをする。
家の人間に変わって接客する女中のお杉が赤いほっぺのおねえさんで、いつもかわいく演出される。
すぎ「マア。源蔵様、泣いてらっしゃるんですか?」
源蔵「いや、あんまり寒いから目から水っぱなが出た」
お兄さんは帰宅後、おすぎから源蔵の様子を聞き、気の毒がる。
夜が明けて討ち入りのさわぎがあり、仙台様の屋敷でメンバーがお粥を食べてると聞き、兄は下男の市助に「わが弟、源蔵たしかにありとおぼえたり!見届けてきてくれ!」とたのむ。実際いたときは大声で吹聴して帰ってこい。いなかったら「おらなかった」と小さな声で報告せよと言いつける。「あんな飲んだくれ、いるわけねえじゃねえか」と文句を言いながら市助が確認に行き、人ごみをこけつまろびつかき分けて確認すると「おお!市助か!」。返り血だらけの源蔵がいた。彼は市助に兄嫁に癪の薬を、兄に槍の柄についていた短冊を形見に渡す。
市助は感動に泣きじゃくりながらおにいさんちに寄っていってくれと懇願するが源蔵はにっこり笑って死にに行く。
噂を聞いた脇坂家が「あやかりたい」と徳利をもらいうけて大切にいたしました。
「徳利の別れ」「名残の徳利」
実際はお兄さんはいないし下戸だったとか。
討ち入りのあとの火の始末をしている。
大映ではカツシン。渡辺謙とかあおい輝彦とか、意外に堀部安兵衛よりいい俳優がキャスティングされる(「タケちゃんマン忠臣蔵」では片岡鶴太郎)。
元宝塚のもりいの友人が杜けあきの公演で演じた。
享年35。
目に青葉ヤマホトトギス赤穂浪士
野田秀樹主宰だった劇団夢の遊眠社による、赤垣源蔵が主役の1991年のお芝居。
もりいは観ていないので「そういうのがあった」としかご案内できませんが、観たとしても、ほかの夢の遊眠社作品を観ないことには、ちゃんと感想は書けないんじゃないかなあという心持ちが、シナリオを読んで沸いた。
東大辞めたての野田氏が80年頃に作り、夢の遊眠社解散の直前の'91年に再演。読んだシナリオは'81年のモノ(「赤穂浪士 昆虫になれなかったファーブルの数学的帰納法」)。
内容はむずかしくてよくわかんない(きちんとしたデタラメ)んですが、忠臣蔵物語につきものの正命題vs反命題・的な要素を、討ち入りと嫁入りとオオミズアオとファーブルと差別などで、わかりようのないわかりやすさでメタファーの花園にした作品。
とにかく、動いてるところを観ないと魅力が不明。おもしろそうであります。
当時コレの美術やった朝倉摂先生、ビデオとか持ってないかなあ。
関連項目
関連作品
- 赤垣源蔵 討ち入り前夜(日活)1938