神崎与五郎

提供: Kusupedia
2008年9月16日 (火) 07:03時点におけるKusuo (トーク | 投稿記録)による版

移動先: 案内検索
プラモデル「詫び証文」

神崎与五郎【かんざき よごろう】…堪忍袋キャラ。

斬首になった武士の検死などする徒目付という低い身分。

風紀委員みたいにあら探ししてチクる役回りだそうで「武士の間ではうとまれる存在でございます(ミフネ大忠臣蔵)」。

メンバーの中では寺坂をのぞけば最下位の三村の「一個上」の身分だが、切腹するとき順番を間違われて最後に回され、不満をいいながら死んでいった。

「吉良邸の絵図面を手に入れよ」とか「この書状を江戸へ」という密命を受け江戸へ。

東下りの際、箱根(or浜松)の甘酒屋で、酔っぱらった馬子の丑五郎(うしごろう)という男から「だんな馬に乗ってくれよ。うちのは奇態だよ。毛が生えてて足が4本だよ」という営業ギャグトークに「馬が嫌い」とスルーしたことから「侍のくせに馬が嫌い?てめえ役者が化けてるんだろう!中山チン九郎とか言うンじゃねえか(チン九郎は三波春夫のオリジナル?)」とからまれるが、いつもは短気なのに「大事の前の小事(義挙の前の小事)」とグッとこらえて酒手(代金)を出し詫び状を書く「名前がカンサケ・ヨカロウ?俺が冷やで飲んでたからって燗酒が良かろうなんてダジャレ書きやがって!」土下座までしてる神崎に痰を吐いて去っていく

その後神崎が赤穂義士で討ち入りに成功をしたということを講談師から知り、丑五郎は己を恥じて頭を丸め江戸の泉岳寺に出向き、墓前で非礼を詫びた。

映像版ですと、グッとこらえるシーンには鞘と鍔(つば)にあらかじめこよりが結んであって、抜こうとするがハッとするシーンが時々ある。 また、神崎を丑の股の下をくぐらせるシーンが見られることもある。両方とも講談や浪曲には出てこない。歌舞伎に出てくるのだろうか? 後者は中国の「韓信の股くぐり」のアレンジと思われる。

この話は大高源五の逸話がアレンジされたとされるがどっちも虚説とされる。 でも講釈師は「今でも芸州家に堪忍三幅対として詫び状文が残っている」と見てきたような嘘をつく。

神崎が美男子らしかったことと大酒飲みで「燗酒よかろう」というあだ名だったことはホントらしい。

江戸到着後は、諜報活動を熱心に続ける。麻布で「美作屋(みまさかや)善兵衛」を名乗り上杉家の麻布下屋敷を探った。その後前原と同居し「小豆屋善兵衛」。

享年38。

教訓「大きな志を持った者は、ささいな恥辱を意に介さない

「神崎東下り」「吾妻下り堪忍袋」

映画には「神崎東下り」「誉れの陣太鼓」「ほまれの美丈夫」などあるそうです。