「水沼久太夫」の版間の差分

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久「ウンウン、どうしてた、その後。大変だったね。」
 
久「ウンウン、どうしてた、その後。大変だったね。」
  
大「やあ、あたしらは二人とも就職決まったんで、ホッとしてますわ」
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大「やあ、あたしらはその…二人とも就職決まったんでハイ。ホッとしてますわ」
  
久「ああそう。あ、このサカナね、コノシロ。味はいまいちだけど、ま、俗に言う"腹切り魚"。おのおのがたの大望成就を願って、お祝いを申した心得じゃ。ご賞味くださるまいか」
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久「ああそうハイハイ(笑)。ああこのサカナね、コノシロ。味はいまいちだけど、ま、俗に言う"腹切り魚"。おのおのがたの大望成就を願って、お祝いを申した心得じゃ。ご賞味くださるまいか」
  
 
大「(冷汗)や、ですから、再就職しましたんで。なんスか?大望成就って」
 
大「(冷汗)や、ですから、再就職しましたんで。なんスか?大望成就って」
  
久「ああそう!じゃーあもういいっ。食べないでいい!」(庭へお膳をガシャーン)「見下げ果てた連中だなおまいら!犬や猫だって飼われた恩を忘れないというのに!兄弟の縁は切るからな」ブチ切れて退室。
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久「…ああそうかい!もういいっ。じゃーあ食べないでいい!」(庭へお膳をガシャーン)「見下げ果てた連中だなおまいら!再就職だ!?犬や猫だって飼われた恩を忘れないというのに!兄弟の縁は切るからな!」ブチ切れて退室。
  
 
ふたりはスゴスゴ出て行く。
 
ふたりはスゴスゴ出て行く。
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中「だから、やめようっていったのに、ああ不愉快だなあ。
 
中「だから、やめようっていったのに、ああ不愉快だなあ。
  
 だいたいあの人はうちらと席を同じゅうする御仁じゃないよ。立派な…まてよ、こりゃあコトによると、うちらを未だ疑うかもしれないから、とどめを刺しておこう。大高、彼が貧乏してたときの薬代、返してもらってこい」
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 だいたいあの人はうちらと席を同じゅうする御仁じゃないよ。立派な…まてよ、こりゃあコトによると、うちらを未だ疑うかもしれないから、とどめを刺しておこう。大高、彼が貧乏してたとき薬代貸したって言ったな。ソレ返してもらってこい!」
  
 
屋敷に戻った大高源五。利息を付けてお金をぶんどってくる。久太夫さらにご立腹。
 
屋敷に戻った大高源五。利息を付けてお金をぶんどってくる。久太夫さらにご立腹。

2009年9月1日 (火) 02:07時点における版

水沼久太夫【みずぬま きゅうだゆう】…講談キャラ。元・久留米の有馬藩。神田紺屋町に住まう。

大高源五が堀内道場で知り合った兄弟弟子で、気が合って義兄弟の縁を結ぶ。


大高源五 腹切り魚の別れ

主家退転後、中村勘助と大高源五が東海道を下向中、大高が勢州津(三重県の津市)の義兄・水沼久太夫に会いたいので寄り道をリクエスト。

勘助が事情を聞くと、江戸で仲良しだった義兄・水沼久太夫が病気になったとき大高は赤穂に転勤になるが、その時ヤクレイ(薬代)を置いていってやったという。久太夫はソレを元に回復し、再就職して出世して津にいるという。現在はメールのやりとりしかしてないとか。

中「やめませんか寄り道。太夫がおっしゃってたではござらぬか"バカに会うのはいいけど、ちゃんとした人に会うと、思い内にあれば色外に現るる、のたとえでヤバイ"って。」

大「玄関先で、ほんのちょっとだけ!ネ!」

中村の心配をよそに寄ってみると、九太夫は大喜びで二人を家に上げ、ご飯の用意をしちゃう。

久「ウンウン、どうしてた、その後。大変だったね。」

大「やあ、あたしらはその…二人とも就職決まったんでハイ。ホッとしてますわ」

久「ああそうハイハイ(笑)。ああこのサカナね、コノシロ。味はいまいちだけど、ま、俗に言う"腹切り魚"。おのおのがたの大望成就を願って、お祝いを申した心得じゃ。ご賞味くださるまいか」

大「(冷汗)や、ですから、再就職しましたんで。なんスか?大望成就って」

久「…ああそうかい!もういいっ。じゃーあ食べないでいい!」(庭へお膳をガシャーン)「見下げ果てた連中だなおまいら!再就職だ!?犬や猫だって飼われた恩を忘れないというのに!兄弟の縁は切るからな!」ブチ切れて退室。

ふたりはスゴスゴ出て行く。

大「中村、すまなかったなあ。ねえ、中村よ」

中「だから、やめようっていったのに、ああ不愉快だなあ。

 だいたいあの人はうちらと席を同じゅうする御仁じゃないよ。立派な…まてよ、こりゃあコトによると、うちらを未だ疑うかもしれないから、とどめを刺しておこう。大高、彼が貧乏してたとき薬代貸したって言ったな。ソレ返してもらってこい!」

屋敷に戻った大高源五。利息を付けてお金をぶんどってくる。久太夫さらにご立腹。


その年12月14日に発したる書状が久太夫に届く。中には大高源五の詫び状、請求したお金、義党47人の連名が入っていた。

久「やっぱりな…。かくばかりに彼に心配苦労をいたせしこそ、誠に気の毒のいたり…」

水沼家では詫び状をいつまでも大切にしました。