「元禄水滸伝」の版間の差分

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{{Cinema|制作=宝塚映画|公開=1952|内蔵助=三津田健|星=2|頃=}}
 
{{Cinema|制作=宝塚映画|公開=1952|内蔵助=三津田健|星=2|頃=}}
  
戦後・宝塚映画製作所の6本目にしてはじめて女の子の物語じゃない映画。
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戦後初の忠臣蔵(たぶん)。
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戦前は「女の子の物語」ばかり5本リリースしてた宝塚映画製作所の、戦後復活第1作(宝塚映画っていうと高度成長期は「サザエさん」実写版が人気)。
  
 
[[寺坂吉右衛門]]、[[毛利小平太]]、[[小山田庄左衛門]]という脱盟者ばかり3にんにスポットを当て、オリジナルの物語を彼らに与えている友情物語。
 
[[寺坂吉右衛門]]、[[毛利小平太]]、[[小山田庄左衛門]]という脱盟者ばかり3にんにスポットを当て、オリジナルの物語を彼らに与えている友情物語。
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個人的にこの映画をどう思ったかについては星ふたつの「よろしいんじゃないでしょうか」なのだが、この映画を語るのについてはそう簡単に言い切れず、いささかややこしいバック・グラウンドも視野に入れなければいけない。
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まず脱盟者を主役に立てた時点で、コレは「生きること」をテーマに掲げている事を意味する。ただ「[[最後の忠臣蔵]]」のような"赤穂浪士が生き残ることの皮肉"をおもしろがってるのではなく、あくまで「死なないで生きること」(=命)への賛美がくりかえしうたわれる。
  
まず脱盟者を主役に立てた時点で、コレは「生きること」をテーマに掲げている事を意味する。ただ「[[最後の忠臣蔵]]」のような"赤穂浪士が生き残ることの皮肉"を物語に乗っけるのではなく、あくまで生きること=命への賛美がうたわれる。内蔵助さえも討ち入り前日にみんなを集めて「人間として生まれた以上、誰しも満足のために生きたい。私も命を捨てずに済むものなら捨てたくはござらん」などとわざわざみんなのテンションを下げるようなことをメンバーを前にしてキッパリ言う。
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内蔵助さえも討ち入り前日にみんなを集めて「人間として生まれた以上、誰しも満足のために生きたい。私も命を捨てずに済むものなら捨てたくはござらん」などとわざわざみんなのテンションを下げるようなことをメンバーを前にしてキッパリ言う。
  
 
主役の小山田はラストで「強く生きていきます!」とガールフレンドに言うし、寺坂吉右衛門が討ち入りのあとで南部坂に報告に行くと「ちっともかっこいいこっちゃないんだから、ほかで討ち入りを吹聴しなさんなよ。生きろ。」と瑤泉院から釘を刺される。
 
主役の小山田はラストで「強く生きていきます!」とガールフレンドに言うし、寺坂吉右衛門が討ち入りのあとで南部坂に報告に行くと「ちっともかっこいいこっちゃないんだから、ほかで討ち入りを吹聴しなさんなよ。生きろ。」と瑤泉院から釘を刺される。
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だが、ここで「ナンセンス」とカンタンに言えないのが時代背景=さっき言ったややこしい背景でありまして、この映画がリリースされた1952年はそれまでは占領軍が上映禁止していた忠臣蔵モノの規制(しかえし賛美、軍国主義に対する規制)が朝鮮戦争の影響で?やわらいだ年である。とはいえ規制解除ホヤホヤのこの年では、まだGHQの顔色がうかがわないといけない時代だったんじゃないだろうか。(討ち入りの戦闘シーンもまるっきり無いし。)それがこの映画の特別な個性を作ってる気がする。
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だが、ここで「ナンセンス」とカンタンに言えないのが時代背景=ややこしいバック・グラウンドでありまして、この映画がリリースされた1952年といえば、それまでは占領軍が上映禁止していた忠臣蔵モノの規制(復讐の肯定や謹皇な軍国主義に対する規制)が朝鮮戦争の影響で?やわらいだ年である。
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とはいえ規制解除ホヤホヤのこの年では、まだGHQの顔色がうかがわないといけない時代だったんじゃないだろうか。('''討ち入りの戦闘シーンもまるっきり無い'''し。)それがこの映画の特別な個性を作ってる気がする。
  
 
それとも単純に、少女歌劇的な映画ばかり作ってた会社だからあえて毛色の違う忠臣蔵をやろうとしたのか。
 
それとも単純に、少女歌劇的な映画ばかり作ってた会社だからあえて毛色の違う忠臣蔵をやろうとしたのか。
  
  
とにかく「むかし」にしてはひじょうに現代的な、プロテストソングっぽいアプローチでありました。
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とにかく時代を反映した、プロテストソングっぽい物腰でありました。
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撮り方もていねいで好感が持て、屋外ロケ現場がいろいろ広い。
 
撮り方もていねいで好感が持て、屋外ロケ現場がいろいろ広い。
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[[大石主税]]と[[矢頭右衛門七]]という美少年二人をそれぞれ寿美花代、南風洋子という宝塚スターが演じている。ヤラレタ。

2020年5月9日 (土) 21:40時点における最新版

作品概要
制作会社 宝塚映画
公開年度 1952年
内蔵助役 三津田健
評価 2ツ星


戦後初の忠臣蔵(たぶん)。

戦前は「女の子の物語」ばかり5本リリースしてた宝塚映画製作所の、戦後復活第1作(宝塚映画っていうと高度成長期は「サザエさん」実写版が人気)。

寺坂吉右衛門毛利小平太小山田庄左衛門という脱盟者ばかり3にんにスポットを当て、オリジナルの物語を彼らに与えている友情物語。


それぞれのイキザマが描かれているが、映画全体を通して訴えかけているのが「生きよう!」という、およそ忠臣蔵に似つかわしくないテーマ。


まず脱盟者を主役に立てた時点で、コレは「生きること」をテーマに掲げている事を意味する。ただ「最後の忠臣蔵」のような"赤穂浪士が生き残ることの皮肉"をおもしろがってるのではなく、あくまで「死なないで生きること」(=命)への賛美がくりかえしうたわれる。

内蔵助さえも討ち入り前日にみんなを集めて「人間として生まれた以上、誰しも満足のために生きたい。私も命を捨てずに済むものなら捨てたくはござらん」などとわざわざみんなのテンションを下げるようなことをメンバーを前にしてキッパリ言う。

主役の小山田はラストで「強く生きていきます!」とガールフレンドに言うし、寺坂吉右衛門が討ち入りのあとで南部坂に報告に行くと「ちっともかっこいいこっちゃないんだから、ほかで討ち入りを吹聴しなさんなよ。生きろ。」と瑤泉院から釘を刺される。


本来なら、わざわざ忠臣蔵という題材でこんなのって、ナンセンスである。


だが、ここで「ナンセンス」とカンタンに言えないのが時代背景=ややこしいバック・グラウンドでありまして、この映画がリリースされた1952年といえば、それまでは占領軍が上映禁止していた忠臣蔵モノの規制(復讐の肯定や謹皇な軍国主義に対する規制)が朝鮮戦争の影響で?やわらいだ年である。

とはいえ規制解除ホヤホヤのこの年では、まだGHQの顔色がうかがわないといけない時代だったんじゃないだろうか。(討ち入りの戦闘シーンもまるっきり無いし。)それがこの映画の特別な個性を作ってる気がする。

それとも単純に、少女歌劇的な映画ばかり作ってた会社だからあえて毛色の違う忠臣蔵をやろうとしたのか。


とにかく時代を反映した、プロテストソングっぽい物腰でありました。


撮り方もていねいで好感が持て、屋外ロケ現場がいろいろ広い。

大石主税矢頭右衛門七という美少年二人をそれぞれ寿美花代、南風洋子という宝塚スターが演じている。ヤラレタ。