中村仲蔵

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中村仲蔵(落語)


歌舞伎役者の若き中村仲蔵(初代)の逸話。

血筋が役者でない割にはイイ筋で、創意工夫もいいので団十郎から目を掛けられ出世するが、ある日「仮名手本忠臣蔵」上演の際、肌の合わない演出家から「定九郎」というショボい役をもらい苦悩する。

この話は自信を持って仕事をしてるところを、いやな上司からショボい仕事をあてがわれて、どう下がったテンションやモチベーションを持ち上げるか、という点が現代人にもリアルで、産みの苦しみのあとでいいアイデアがひらめいたときの心地よさがなんとも言えない話であります。

ただ、そのアイデアを芝居にかけると思ってた客の反応とあまりにも違うので仲蔵は大失敗したと落ち込み、上方へ去ろうとするが…


何度かいろんなヒトのを聴いてるが、思い出深いのは林家正蔵(元・彦六のほう)のCD。三遊亭円楽のテレビ。立川志らくのライブであります。

正蔵の仮名手本忠臣蔵・五段目の描写は、現在の五段目の内容と大きく違い、聴いてるほうが戸惑うが、歌舞伎とは姉妹演劇である(原作である)文楽の仮名手本忠臣蔵・五段目を見ると合点がいく。おそらく文楽はオリジナルに近いカタチなのでしょうな。正蔵の落語は昭和40年の録音だが、おそらくその時点で歌舞伎の手は平成に見る仮名手本・五段目と変わらないんじゃないかと思うが、正蔵はあえて昔から受け継がれてる、古いほうの演出内容で噺している。んまあ、噺のバックグラウンドが江戸時代なんだから当たり前といえば当たり前ですが。

ところが、あたしと2つしか年の違わない志らく師匠は歌舞伎のディティールは現在の仮名手本・五段目でやっちゃってる(少なくとも09.3月現在。ネタおろしではそうでした)。歌舞伎を知ってるほうとしてはそのほうがわかりやすいのだが、もとの噺といまの歌舞伎ではじゃっかんちぐはぐな点が出てくるから、ここら辺は「いまはこうですが、昔はこうだったそうで」と入れてもイイかもですな。でもテンポが崩れるか。そもそも、たぶん志らく師匠は人形浄瑠璃のほうは知らねえな、きっと。ま、聴いてるほうもどうせあんにゃもんにゃだから、全体も出来が良ければようがす。

あたしゃ彦六師匠は「ふうん」て聴くけど。志らく師匠のじゃあ、泣きますからね。


だから古典落語って、現代人がわからない状態ででも「まんま」受けつぎゃいいのか、現代人に伝わるようにアレンジしていって継承すべきなのか、なやましゅうござんすね。オリジナルを理解しててそっちとアレンジとを両方を弟子に教えるのがいいんでしょうな。


とにかく、ものつくりの方にはオススメのお話。