「茅野和助」の版間の差分

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討ち入りのあと泉岳寺の修行僧からサインを求められ、一種の和歌と一句の俳諧を書いた。
 
討ち入りのあと泉岳寺の修行僧からサインを求められ、一種の和歌と一句の俳諧を書いた。
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5年しか内匠頭に使えてない新参。
  
 
「講談師社会でもこの人の噂はあまりいたしません」だそうです。
 
「講談師社会でもこの人の噂はあまりいたしません」だそうです。
  
 
享年37。
 
享年37。

2008年10月28日 (火) 10:42時点における版


茅野和助【かやの わすけ】…江戸ネーム富田藤五(医者)。助五郎。俳号「秀峰」

弓の名士で半弓で戦った。禿峰という雅号も持つ俳人で、えびら(矢を入れる容器)に短歌の書いてある短冊がついていた。 48番目の義士、萱野三平とよく兄弟と間違えられる人(苗字の読みが同じだから)。

討ち入りのあと泉岳寺の修行僧からサインを求められ、一種の和歌と一句の俳諧を書いた。

5年しか内匠頭に使えてない新参。

「講談師社会でもこの人の噂はあまりいたしません」だそうです。

享年37。