「冨森助右衛門」の版間の差分

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討ち入り後は[[吉田忠左衛門]]と一緒にメンバーを代表して自首している。
 
討ち入り後は[[吉田忠左衛門]]と一緒にメンバーを代表して自首している。
  
[[軽部五兵衛]]のところに間借りしていたとか、[[奥田孫太夫]]に切腹のアドバイスしたりとか、フィクションの世界でも誰それにカネ持ってきたとかいう役はたいがいこの人。ほうぼうでチラッチラッとこの人の名前が出てまいります。
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[[奥田孫太夫]]に切腹のアドバイスしたりとか、フィクションの世界でも貧乏してる誰それにカネ持ってきたとか、討ち入りの時大高源五と一緒に冨森が隣家へ挨拶に来たとか、元禄忠臣蔵でも綱豊卿のとこにあらわれるのはこの人だし、ほうぼうでチラッチラッと登場する名バイプレーヤー(?)。
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この人の子孫は吉良邸の絵図面を現在も所有。
 
この人の子孫は吉良邸の絵図面を現在も所有。

2008年11月6日 (木) 09:38時点における版

冨森助右衛門【富森助右衛門とみのもり すけえもん】…元小姓。

俳句好き。

凶変後は軽部五兵衛のところに間借りして平間村に住んでいたが、不便なんで江戸に出る。

討ち入りのときにお隣の土屋さんち(とか本多さんち)に挨拶に行ってる。

討ち入り後は吉田忠左衛門と一緒にメンバーを代表して自首している。


奥田孫太夫に切腹のアドバイスしたりとか、フィクションの世界でも貧乏してる誰それにカネ持ってきたとか、討ち入りの時大高源五と一緒に冨森が隣家へ挨拶に来たとか、元禄忠臣蔵でも綱豊卿のとこにあらわれるのはこの人だし、ほうぼうでチラッチラッと登場する名バイプレーヤー(?)。


この人の子孫は吉良邸の絵図面を現在も所有。

享年34。